ドア・イン・ザ・フロア
9月19日にDVDで見ました。
<ドア・イン・ザ・フロア>とは<床にあるドア>のこと。この、床にあるドアとは?
これはいったい何を意味するのでしょうか?
それがこの映画のテーマ。私なりに推理すると、ドアとは外に出るもの。古い世界から新しい世界への入口。人が新しい自分に生まれ変わること。
そんなことの象徴なのかもしれません。映画の、ラストシーンで主人公の作家が、スカッシュ練習場の床にあるドアを開けて、どこかへ出て行く所で終わります。
この映画、過去の自動車事故で二人の息子を、亡くした夫婦の壊れていく様を描いています。5年以上も前の事故について、自分、そして夫を強く責めている。そして、そこから脱出ができない。
児童文学者のテッドは、妻マリアンと4歳の愛娘サラと、裕福な暮らしをしています。この一見幸せそうに見える家族は実はバラバラ、そして過去の悲しい出来事を引きずっています。
この家族の元に、夏休みを使って、作家志望の高校生エディが作家助手のアルバイトとしてやってきます。そして、彼を巻き込んでこの家族は崩壊をしていきます。
キム・ベイシンガーは、このとき51歳くらいです。でも、その妖艶な美貌は、妖しいまでに画面にひきつけて離さないものがあります。うぶで真面目な高校生が一目ぼれするのもうなづけます。
高校生とのセックスシーンもふんだんにあり、長い足がもつれ、絡まるシーンはとても刺激的です。知的でスレンダー、憂いに満ちた顔は、何とか助けてあげたいとの気持ちを男に起こさせるものがあります。彼女のこの映画での年齢設定は、40代前半だけど十分にいけてました。
ジョンアービングの<ガープの世界>との共通性がいくつかありました。@主人公が作家の夫婦であること。A予期せぬ交通事故が二人の関係に大きな亀裂を与えたこと。B年若い男と妻の浮気、そして、夫の度重なる不倫。
ラストシーンで、マリアンは子供を捨てて家をでます。その後、この家族に再生はあるのでしょうか?マリアンは、子供には自分のようになってほしくないから、子供を捨ててでていきます。
それは、床にあるドアから外へ出ること。では、夫のテッドは?
この映画は、<未亡人の一年>の前半部分を映画化したそうです。では、描かれていない、後半の部分に家族の再生はあるのでしょうか?
家中に、亡くなった息子の写真がありました。この映画は、写真が重要な役割を演じていた気がします。マリアンは、家を出ていく時、フックのみ残し写真をすべてはずし、ネガまでも持って行きます。まるで、息子の思い出を消し去るように……。
後半は出て行った妻の物語?どうして未亡人の一年なのでしょうか?
インターネットで、この映画のテーマのごときものが書かれてものがあったので、紹介します。
”ドアインザフロア”は作家の家の納屋にある。床の持ち上げふたのドアを開けると、下に降りられる。彼は”ドアインザフロア”という寓意童話を書いた。が、実際の彼のドアは納屋にあり
階上のスカッシュコートで一人白い壁に向って球を打ち(まるで自分の心と対決するように打ち)、床のドアを持ち上げ開けて下の物置部屋に下りる、その境目で顔が変わる、
作家の顔から普通の中年男の顔へ……階上での作家の顔は誰にも見せない。
確か、映画の中で階段を上がって、スカッシュの部屋に行くシーンがありました。と言うことは、下に彼の作家活動をする書斎があるわけです。
普段のだらしない中年男の顔と、作家としての厳しい顔を
そのドアで切り替えているというのは、なかなか穿った見方だと思います。
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