放浪記
10月7日(土)の午後5時から 中日劇場で森光子の「放浪記」を見てきました。座席が1階のほぼ真ん中で、前から2列目だったので、役者の顔の表情までしっかりと見えました。
森光子(83歳)の皺を見てやろうと目を凝らしていましたが、ほとんど見えず、それどころか、
彼女は小柄で小顔の可愛らしい女性でした。決して美人とは言えないけど、愛嬌のある可愛い女性です。本当に83歳とは思えません。相手役の奈良岡朋子も年齢を感じさせない、若々しい演技でした。それ以外の出演者は、米倉斎加年、山本学、有森也実などです。
林芙美子の放浪記は読んだこともありませんし、芝居を見るのも初めてでした。1800回公演ということと、劇中で、<でんぐりがえし>があることくらいの知識です。
<花の命は短くて 苦しきことのみ おおかりき>このフレーズはあまりにも有名です。
林芙美子の自伝的小説が<放浪記>で、森光子は20代から50代くらいまでを演じていました。しっとりとして、落ち着いた芝居でゆったりと胸に浸みるようでした。
行商の親に連れられての放浪生活、貧しい生い立ちを断ち切るために出てきた東京の暮らし。女中、カフェの女給をしながらの日々の生活は苦しくなるばかり。
また、惚れっぽくて、面食い。あげくは、ダメな男ばかりを選んでしまう。いわゆる男運の悪い女性でした。
そんな逆境に負けなかったのは、このままでは終わりたくないというどん欲な気持ち。その中で、詩や小説を書き続けます。
そして、苦労の果てに自伝的小説、<放浪記>が売れて一躍人気作家になります。
お金もでき、立派な家、親孝行ができ、寝る時間もなくなるほどの仕事の山。身をなし、名をなした彼女。でも、それが本当の幸せなのか?
劇作家、菊田一夫が彼女を前にこのように例えています。
シルクハットの紳士が馬車に乗って、颯爽と街を走っている。何かの拍子に馬車の底が抜けて、落ちそうになる。でも、その紳士は必死に梶棒に捕まって落ちないように走っている。
それが今の、林芙美子であると……。
人気作家の宿命。それは、走り続けなければならないこと。少しでも休めば、忘れられてしまう。
それに対して、親友である京子の生き方が対象的でした。彼女は、小説家をあきらめて、良き妻となります。どちらが本当の幸せなんでしょうか?
結局、幸せとは人が決めるものではないこと。自分が、どう感じるかが大切、幸せを感じれば、幸せなんだと思います。
劇中で、芙美子がどんなに苦しくても、好きな小説がかければ幸せと言っていました。だから、彼女も幸せだったのでしょう。
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