墨攻

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墨攻 h19.2.4

 原作の「墨攻」は、10年前に連載を終えた日本の漫画が原作。それを、日本、韓国、香港、中国の3カ国4地域が合作で映画化をした。主演の革離に香港の大スターアンディ・ラウ(インファナル・アフェア。敵将の巷将軍役に韓国の国民的俳優アン・ソンギ。


 なぜか韓国映画だと勘違いしていました(笑)。でも、実際は中国の春秋戦国時代の物語。今ちょうど読んでいる、司馬遼太郎の<項羽と劉邦>の少し前の話でした。

 時は中国春秋戦国時代。中国の春秋戦国時代とは、周王朝が滅び、秦の始皇帝が中国を統一するまでの時代で、紀元前700年頃から約500年くらいの間です。

 各地に王国ができ、互いに中国統一をかけて戦っていた、まさに、群雄割拠の時代で、日本の戦国時代とよく似た時代です。

 その当時、七強(秦・楚・斉・燕・趙・魏・韓)といわれていた趙(チョウ)が隣国燕(エン)をたたくために10万の兵を送り、その国境線にある小国梁城を取り囲んだ。城を守るのはわずか4千人、和睦を求めることはすなわち国の消滅を意味した。そこで、梁王は城を守ることのプロ集団である墨家に救援を依頼した。しかし、そこに現れたのは墨家の天才戦術家である革離(かくり)一人であった。果たして、革離は趙軍をくい止め、梁城を守ることができるのか?

 ここでいくつかの疑問がわく。まずは、なぜ梁は他国ではなくて墨家に援軍を依頼したのか?

 梁は小国といえども独立した王国である、他国に援軍を求めることは、独立を放棄することになり、それができなかったので、墨家へ援軍を依頼した。

 墨家(ぼくか)は、中国春秋戦国時代に墨子が起こした平和主義の思想家集団である。戦国時代には儒家(孔子の起こした儒教)と並び大きな力をもって栄えていたが、戦国が終わり、秦の始皇帝が中国を統一すると忽然と歴史から姿を消します。

 その墨家の考え方はたぶんに理想主義的で、その思想の代表的なものとして<兼愛>と<非攻>がある。

 なお、兼愛とは<兼(ひろ)く愛する>の意味で、全ての人を公平に平等に愛せよという教えである。儒家の親や兄弟を愛せよという偏愛との対句である。

 また、非攻とは他国への攻撃はしないこと。ただ、攻められた場合の防衛戦争は否定していないので、現代の言葉で言うと専守防衛にあたる。

 ここで大事なのは、墨家は防御戦に関する豊富な経験や知識をもっていたことである。梁はそのノウハウを利用して、あわよくば梁城の防衛をしようと考えたわけです。

 映画の中でも、墨家の革離が<請われればどこの国でも守りに行く>と言っていました。防衛戦争のプロだったわけで、その防衛を援助することによって得たお金が
墨家集団を維持して行く経済的基盤でもありこのことは、墨家の思想との矛盾をはらんでいました。

 防衛戦争であっても、人を殺すわけです。今回の映画でも、趙軍を撤退させるためにはどれだけの数の趙軍を殺すか、その人数しだいだと彼が言っています。そして、武器を捨て降伏をした趙兵をだまし討ちにして殺しています。

 ではそんな墨家であるのに、なぜ援軍を送らずに、革離が一人で来たのか?
それは、その当時墨家が腐敗をしていて、梁城への援軍どころではなかった。そんな状況に、嫌気がさした熱血漢革離が単独で行動をしたわけです。

 さらに、なぜ燕を攻める前に、趙は梁を攻めたのか?梁が燕の同盟国であった可能性もありますが、それよりも、食料の問題ではなかったかと思います。あの当時の戦いで最も重要だった食料の補給です。そのための補給路として、梁が必要だったのでしょう。
 

 映画は実に面白かったです。小が大を負かすというのは、格闘技の世界だけの話でなくて、愉快なものです。まして、天才戦術家の革離が、いろいろな智慧を出して
圧倒的に有利な趙軍を翻弄するのですから、興味は尽きません。

 革離を演じたアンディ・ラウがものすごく良いです。今、デカプリオとマット・デイモンのディパーテッドをやっていますが(なかなか良いそうですね)その映画は香港映画のインファナル・アフェアのリメイク版だそうで、その映画の主演をしています。

 中国人民解放軍の協力を得たからできる圧倒的な人海戦術、CGではない生の迫力。攻める側も守る側も必死の戦闘シーンは見応えがあり、ものすごい迫力でした。

 また、戦争だけでなく友情や恋も描く。 恋は純愛だけに、美しく尊い。墨者は礼を受け取らない。礼を期待しての行為だと誤解されたくないから。それで、革離は自分の慕ってくれる女性の愛さえ遠ざける。なんとも切ないことです。

 そんな二心ない革離であるゆえ、人民の熱い信頼を受け、その声望は梁王をはるかに凌ぐようになる。それを恐れた梁王は、彼を殺そうとします。

 さんざん、利用をしておいて趙軍が撤退すると同時に、大恩人の革離を殺してしまおうとするのだから、梁王の自分勝手さには腹が立ちますが、まあ、あの当時の王とはあんなものでしょう(笑)。

 趙軍の巷将軍と、革離との男の戦いとかけひき見応えがありました。それにしても、圧倒的に有利な趙軍が負けたのは、油断があったこと。まさに、油断は大敵です。

 梁城に入っている農民の悲痛な声が聞こえてきます。どこにいっても、いつでも戦争。

 戦争をなくし平和に国にするには、統一国家を作るしかない。でも、その戦国を統一した秦は、戦国時代以上に農民には過酷なことをします。労役と重税。そして、また秦も滅んで行きます。その時代は、農民にとって明るさの見えない時代。そして、王の裁量と能力によって国は大きく左右されることを実感させます。

 梁城を守る防衛戦争は、真田太平記の第一次上田戦争と同じです。北条の横暴で真田の領土である沼田をとられそうになります。それを後押しする徳川家康。真田はすかさず長年の宿敵であった上杉景勝と手を組みます。それに腹を立てた家康が軍を上田に差し向けます。第一次上田合戦です。その当時最強と言われていた7千人の徳川軍を向こうに回して2千人で上田城を守り切ります。それどころか、徳川軍に大損害を与え、真田昌幸の名を天下に示します。

 その戦いは、城主昌幸を慕う農民の力も大きかった。その昌幸に代わるのが革離なんでしょう。梁王は全然だめ(笑)。

 戦争の仕方、奇襲作戦だけでなく、城を守るために、油、沸騰した湯、火、石を有効に使うこと。そして、敵をできるだけ引きつけて一気にたたくこと。それらは全く同じ。戦上手は考えることが同じです。

 ラストシーン。
心ある農民と共に革離は梁城を出ます。それは、ハッピーエンドとは言えないものですが、なんとか幸せになってほしいと願ってしまいます。農民にとって、どこへ逃げても同じなわけでそれを思うとやりきれない気持ちになります。

墨家

 墨家(ぼくか)は、中国春秋戦国時代に墨子が起こした平和主義の思想家集団です。戦国時代には儒家(孔子の起こした儒教)と並び大きな力をもって栄えていましたが、秦の始皇帝が中国を統一してからは忽然と姿を消します。その考え方はたぶんに理想主義的で、代表的なものとして、<兼愛>と<非攻>があります。

 なお、兼愛とは<兼(ひろ)く愛する>の意で、全ての人を公平に平等に愛せよという教えです。

 また、非攻とは他国への攻撃はしない。ただ、攻められた場合の防衛戦争は否定していないので、現代の言葉で言うと専守防衛になりと思います。

 ここで大事なのは、墨家は防御戦に関する豊富な経験や知識をもっていたことです。梁はそのノウハウを利用して梁城の防衛を考えたわけです。

 映画の中でも、墨家の革離が<こわれればどこの国でも守りに行く>と言っていました。防衛戦争のプロだったわけで、その援助によって得たお金が墨家集団の経済的基盤でもありものすごい矛盾をはらんでいました。

 戦争は、防衛に限らず人を殺すわけです。今回の映画でも、趙軍を撤退させるためにはどれだけの趙軍を殺すか、その人数しだいだと彼が言っています。そして、武器を捨て降伏をした趙兵をだまし討ちにして殺しています。


春秋戦国時代とは

中国の春秋戦国時代とは、周王朝が滅び、秦の始皇帝が中国を統一するまでの時代で、紀元前700年頃から約500年くらいの間です。

 各地に王国ができ、互いに中国統一をかけて戦っていた、まさに、群雄割拠の時代で、日本の戦国時代とよく似た時代です。

 その当時、七強(秦・楚・斉・燕・趙・魏・韓)といわれていた国々が覇を競っていた。

 

 

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