それでもボクはやってない h19.2.21
周防正行監督、「shall we ダンス?」
から11年ぶりの作品です。彼を初めて知ったのは、「しこふんじゃった」を見た時です。この映画は、本木雅弘(もっくん)の主演で、学生相撲を世界を描いたものですが、そのユニークな手法からそのセンスの良さを感じたものです。
今回の映画は、電車の中での痴漢と、その冤罪を描いた作品です。映画の冒頭に、
『十人の真犯人を逃がすとも一人の無辜を罰するなかれ』という、字幕が出ましたが、このことがこの作品の全てを語っています。この言葉は法格言ですが、今の日本で、この刑事裁判の原則が守られているのか?との問題提起でもあります。
この作品は、日本の裁判制度の問題点を鋭く追求していますが、裁判システムだけでなく、官僚や公務員の体質、いやもっと言えば日本人の体質を問うた問題作でもあります。
裁判長いえども、全てが公明正大な人物ではない。いや、ほとんどが官僚としての体質をもっている。裁判長は、国家公務員であり、無罪を出すというのは警察、検察という国家権力にはっきりとNOを言うことであり、勇気のいることです。それは、<無罪>にすることで、それらとの関係は悪くなるし、当然出世にも大きく影響をうけるわけです。ということで、事なかれ主義に陥り、有罪率99.99%という数字になる。まあ、本当に罪を犯した人間であればそれでもいいのですが、今回のような冤罪の場合、その怖さは尋常のものではありません。
ある意味では、ホラー映画よりももっと怖いものがあります。痴漢に限らず、犯罪に巻き込まれる可能性は日常茶飯事です。自分だけは大丈夫だと思っていると、飛んでもない目にあうと実感しました。彼も「裁判長ならわかってくれる」という、信仰のようなものをもっていましたが、それが、全くの誤解であることがわかります。裁判長は同時に二十数件の裁判を受け持ち、自分にとっては特別なものと思っていてもたくさんある内の一つとしか、そのことを考えていません。早く終わること、そのことだけを願っています。
めんどうなことがなくて、早く終わってほしい。このことを中心に仕事をやっているもの、今回の場合は、警察、検察、裁判所がそれに当たりますが、仕事を自分のこととは考えていない、全ての所に当てはまることです。
今回面倒でないこととは、自白をして、示談を成立させ、罰金を払うことです。やっているとかやっていないではなくて、そうすることが一番面倒でない。だから、そうしなさい。交通事故のように考えろ、そんな気がしてなりません。でも、無実の罪であるとしたら、この屈辱と悔しさはいかばかりでしょうか?
フリーターの青年(加瀬亮)が、電車の中で痴漢に間違えられ逮捕されます。容疑は、中学3年生の女生徒のスカートの中に手を入れて、お尻を下着の上からさわったことです。迷惑条例違反で、裁判で有罪になると4ヶ月程度の懲役になります。
彼はあわててその電車に乗ったため、上着がドアに挟まれ、それを取ろうとして、ごそごそしていて痴漢と間違われます。初めて知ったのですが、このようなことを市民逮捕といい、現行犯逮捕になります。
女子中学生の勇気ある行動は賞賛され、痴漢の卑劣な行為との対照が際だちます。このいたいけな少女の言うことは絶対に間違いない、この前提に取り調べから、裁判までが一環して行われます。まったく、思いこみ、きめつけとは怖いものです。
逮捕されると取り調べがあるのですが、すでに警察は犯人ときめつけ、その方向にもって行こうとします。バカの壁ではないのですが、どんな有効な情報でもそれを採用しようとしなければ、ないのと同じです。犯人であるという方向に情報が操作されます。
自白をして罪を認めれば、即釈放されるけど、無実を訴えると留置され、裁判にかけられます。結審から長い時間とお金がかかります。それも、ほとんど勝ち目がないことが、人を変えて何度も何度も繰り返し言われます。
「自白の強要」は、テレビのドラマや映画ではよく聞きます。でも、あんなふうに損得を言われたら、自由になるために、やってもいないことでも、自白をしてしまう気がします。そこから、冤罪が生まれます。
「裁判長は神ではない」。事実を知っているのは、自分だけ。とにかく油断大敵、危険には近寄らないことである。満員電車には乗らない、乗るとしても近くに女性がいたら、後ろ向きに乗る。両手を前に組んで置く(笑)。
この映画は、痴漢だけではなく、日常に危険が一杯あることの警鐘であります。そして、警察、検察、そして裁判所は正義の味方ではないことを教えてくれました。
役所広司のうまさがきわだっていました。弁護士しての温かくやさしい気持ち、冤罪をさせないという気持ちがよく伝わってきました。彼に出会ったことが、被告にとって、未来を照らす一条の明るさです。ただ、そんな有能は弁護士でも、裁判長の考えを変えさせることはできない。裁判長の人間性、公平性が大きな鍵となる。
主人公の加瀬亮は、<硫黄島からの手紙>の憲兵役が印象深いが、今回は人の良い、ちょっとボーとした青年役をうまく演じていました。そのおとなしい彼が、だんだんと怒りをあらわにして行くのですから、怒り心頭に達していたことがわかります。心の中に「いいかげんにしろ〜」という声が聞こえてきそうです。その友人の山本耕二がなかなか良い。
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