クリント・イーストウッド

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クリント・イーストウッド

 10月19日(木)10時からの報道ステーションにイーストウッドが、インタビューに答える形で出演していました。場所はハリウッドの映画スタジオのVIPルームからです。

 番組が10時から始まったので、いつ登場するのかと、じりじりしながらも、結局一時間以上待たされて、11時少し前から約10分程度のインタービューでした。司会の古館伊知郎が質問をして、彼が答える形です。

 その日の報道ステーションのトップ記事が北朝鮮の核実験に対して、訪問をした中国使節団との対話の行方でした。中国としては、北朝鮮に対しては抑えられるのは自分の国だけという絶対の自信を潰されたので、最後の手段として、<同じ共産革命>を戦った同士の党として話をじっくりしようという立場をとったみたいです。

 狂気の指導者に操られる国民や軍の怖さを垣間見た瞬間でもあります。北の軍人に、核実験について聞くと異口同音に<誇らしいことである。><アメリカが核で脅すから仕方なしに核武装した><核を持たなければ、もっと生活が楽になる><アメリカが戦いを仕掛けてくれば命を賭して戦う>

 この洗脳とも言うべき発言は、核というキーワードは違っても、戦時中の日本と同じような状況ですね。そんな、こともイーストウッドは言っていました。

 平凡な市民が、指導者(国家権力)のメンツやこだわりのために、徹底的に利用をされた。この<父親たちの星条旗>は、戦争映画ではなくて、そんな平凡な市民を描いた人間ドラマだと強調していました。

 平均年齢19歳の若者が、深い意味もわからずに、戦争に行き、精神的にぎりぎりの状況で殺し合いをする。それは、帰国してからも、その影を引きずっていく。(父親達の星条旗は、帰国後の兵士の物語みたいです)だから、戦争はいつまでも終わらないわけです。

 あの小さな硫黄島に、上陸した米兵3万、迎え撃つ日本兵2万の内、実に27000人が死亡したと言われています。その死亡者の大半が、日本兵なんでしょうが、それでもアメリカ兵にも甚大な被害を与えました。

 最初アメリカは、圧倒的な物量作戦で、この硫黄島を5日で陥落させるつもりでした、
ところが日本軍の徹底抗戦のため、一ヶ月もかかったそうです。それは、司令官栗原中将の力でありました。

 ここらへんは、真田太平記(日本の戦国時代の戦い)にも通じるものがありますね。
有能な司令官とそれに従う将兵がいると、そういう結果になります。2回にわたる上田攻めがそうです、関ヶ原開戦時の、伏見城攻めもそうでした。

 一つの事件を別の観点からみると、全く別の事件に見えてくることがあります。これは、人のけんかの仲裁をする時、一方の意見だけを聞くととんでもないミスをすることと似ています。

 その意味からも、この2本の映画が同じ事件を、日米双方の視点から描いたことは新しい試みとして、興味深いものがあります。

 ただ、どんな描き方をしているのかは、大きな問題ではありますが…。 もちろん、イーストウッドが監督だから、アメリカの方は問題はないですが、日本側<硫黄島からの手紙>の方が心配です。でも、あの渡辺兼が主演だから、そこらへんは、監督としっかりと話し合って映画を作ったと思います。絶対に、<パールハーバー>のような、日本軍は描いてほしくないです(笑)。

 インタビューの中で彼は、この戦争を描いた時、日米どちらが良いとか悪とかの判断を下す、するつもりはなく、ただ事実に基づいた制作に心がけたそうです。

 そういえば、ミリオンダラーベイビーの時も、善悪を映画の中で判断させず、見ている側に下駄を預けるような終わり方をしていました。

 神ならぬ、不完全な人がやることですから、どれが正しくて、どれが間違っているのかわからない。そんなことを決めるよりも、人間らしく生きること、気持ちに自然に生きることの方が大事だと言っているような気がします。

 製作がスピルバーグそうです。製作と監督の役割の違いは?金を出すのが製作なのかな?どちらにしろ、彼がこの映画に加わっていることから、作品の質の高さを感じます。
彼は、新しい映画の時代を確実に切り開いた人ですから。


 最後に、古館氏が<映画を作り続けて行く意欲はなんですか?>と聞くと、笑顔で<すし>と答えていました。ウイットに富んだ切り返しであり、日本人へのサービスですね(笑)。何でも彼は、今日のお昼にすしと味噌汁を食べたそうで、すしのおかげで健康でいられると言っていました。健康でいられることが、意欲をかりたてるのでしょう。

 今日も朝ズバ!(みのもんた司会)で、イーストウッドがイラク戦争に反対。つまりブッシュ政権に反対の考えであるとの新聞記事が紹介されていました。自由の国アメリカならではのことですが、彼の戦争に対する考え方がわかって良かったです。<硫黄島>の映画を見る時の参考になりますからね。

 最後に、今の世界の状況を見ると、戦争がなくなることは残念ながらないが、それでも、そうなりたいとの希望もって生きていきたいですねと、彼は言っていました。76歳だと思いますが、まだまだ元気、これから先も十分活躍をしそうですね。
 

 

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