武士の一分

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h18.12.4 阿久比ユナイテッド 12:45分〜3:00

 藤沢周平原作、山田洋次監督の時代劇三部作の完結編。
その三部作とは、(1)たそがれ清平衛、主演真田広之、宮沢りえ
(2)隠し剣鬼の爪、主演永瀬正敏、松たか子。
(3)武士の一分、主演木村拓哉、檀れいです。

(1)と(2)が身分違いの恋の切なさと、理不尽な藩命でも従わざるを得ない、武士道の辛さを描いていましたが、今回はちょっと趣をことにして、夫婦愛と武士の意地について描いていました。

 三村新之丞(木村拓哉)は、東北の小藩海坂藩の毒味役で、30石取りの下級武士でした。やさしい妻の加世(檀れい)と貧しいけれど心豊かな夫婦の生活を送っていましたが、ある日突然、毒味役で貝を食し、その毒に当たり失明をします。

 それを知った新之丞は、盲目では武士として生きる意味がないことまた、先々の妻のことを思い切腹しようと思いますが、妻の説得で思いとどまります。
 妻は夫を助けるためにはなんでもしようと、自分を犠牲にして上役に今後のことを頼みます。そのことを知った新之丞は、妻を許せず離縁して、妻をもてあそんだ上役に、武士の一分をかけて果たし合いをするという物語です。

 ものすごく良かったです。特にラストは感動的で、涙が止まりませんでした。2時間という短い時間で、これほどの感動を与えられたのは、本筋に関係のない、むだなものをそぎ落として、シンプルで簡潔ものに仕上げていった努力のたまものです。でも、それで十分言いたいことは伝わってきました。

 そうなってほしいとみんなが願っている通りのラスト。それは、心が温かくなるようなプレゼントでした。さすが山田洋次です(笑)。


 木村拓哉(三村新之丞役)の自然な演技が良かったです。目が見えた時の快活さとは対照的に、盲目になってからの深く心に秘めたような演技は見応えがあり、人の心の中を探るような目が印象的でした。

 檀れい(妻の加世役)は清純で汚れを知らない、でも芯の強い女性をうまく演じていました。心から夫を信頼し愛していることが、ひしひしと伝わって来ました。彼女は宝塚の娘役のトップだったとか、初めて彼女を見て、こんな透き通るような清純な人がまだ日本にいたんだと思ったものです(笑)。

 笹野高史(中間の徳平役)は味のある演技でした。この映画では、彼の存在は潤滑油として、なくてはならないものでした。

 そして、脇を固める役者達。敵役の板東三津五郎、叔母役の桃井かおり、剣術の師匠役の緒方拳などが個性を発揮し、この映画を引き締めていました。

 三村家は、30石の下級武士です。30石とは今の収入で行くと、年収300万円くらいだそうで、武士として、中間を一人は雇わざるを得なかったことを考えると、武士とは名ばかりの、貧しく慎ましい生活を余儀なくされていました。一汁一菜に米の飯、食べた茶碗にお湯を入れてそれで洗って食べる所に、そんな慎ましやかな生活が出ていました。また、下級武士とは100石以下の武士で、殿様に拝謁できなかったそうです。そんな場面もありましたね。

 果たし合いに備えて、剣術の稽古を秘かにやったり、剣術道場の先生(緒方拳)に指導をこい、どうしたら盲目でも勝てるかの話になります。

 <自分は死ぬとの覚悟>をし<相手の生への執着>から生まれる隙をつくこと。すなわち、<必死の中で生きる>ことだと言います。 自分が死を覚悟し、死気で戦うことから勝機が生まれる。

 キムタクは学生の頃に剣道を習っていたそうで、そのことは、スマップの番組で知っていたけど、それが今回の映画で活かされました。

 一分とは、これだけは譲れないことです。それなくしては人間足りえない、ぎりぎりのもの。人には、人それぞれの<一分>があります。

 

 

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