長い散歩 h19..8.13 DVD
長い散歩をDVDで見ました。
ものすごく良かったです。
いろいろと考えさせられることが多く、
感動で胸が一杯になりました。
自然に涙があふれてきて止まりません。
で、朔的には☆は4つで、超お薦めです。
この映画のテーマは、子供の虐待、親子、夫婦の関係。
そして、突き詰めれば、「子育ての問題」と言えると思います。
過去に深い悔悟の念を持つ元校長である老人(緒形拳)が
親に虐待され、心を閉ざしている少女と一緒に旅(長い散歩)に出て、
少女の心を開かせると同時に、
自分の過去を償い、再出発をする物語です。
ラストでUAが歌う井上陽水の「傘がない」。
この歌の歌詞がこの映画の多くを語っている気がします。
真に人は理解し合い、許し合うことができるのか?
その難しさを感じると同時に、
それでも人を信じて努力だけはする価値があると思いました。
主人公の安田松太郎(緒形拳)は、
定年後しばらくたった名古屋の高校の元校長。
厳格で仕事人間だった彼は、家庭を顧みることなく
教師としては立派であったとして、
家庭人としてはダメな男であった。
思春期を迎えた娘が万引きをすれば、
校長の娘がなぜだと理由も聞かずに殴る。
それを必死でかばう妻であったが、
妻を許すことも、
やさしい言葉の一つもかけることはなかった。
妻はその心労のために、アルコール依存症となり、
命を縮めることになる。
妻を亡くした後は、心を閉ざし絶縁した娘と別れて
知らない土地でアパートを借りて、一人暮らしを始める。
彼の悔悟の念とは、
家庭を顧みることなく、娘の心の闇を理解できず、
妻にその責任をすべてかぶせ、精神的に追い込み、
家庭破壊の原因を作ったこと、
さらに妻を死に追いやったことである。
確かに、その原因の一端を彼が担ったとしても、
それが家庭崩壊のすべてであったであろうか?
この家を経済的に支えてきたのは、
彼が校長として頑張ってきたためであり、
その感謝の気持ちはどこへいってしまったのか?
彼に責任はあるが、
それと共に、娘本人の責任とか、妻に責任はなかったのか?
家庭における教育の難しさは、<親がしっかりしていても
子供がダメな場合があるし、その反対もある>ことで、
一概にこうだと言えないことです。
私は娘の頑な態度こそ問題だと思います。
最後に松太郎が刑務所から出てくる時、
私は<幸>と母親の姿をそこに求めていましたが、
それ以上に、彼の娘の姿をそこに見たかったです。
でも、残念ながらそこには二人の姿はありませんでした。
結局松太郎の行為、思いは通じなかったのか?
それが、ラストの「傘がない」の歌詞と重なり
ものすごく悲しくなりました。
彼はこれから何を支えに生きていくのでしょうか?
緒形拳の抑え気味の演技が良く、
最初に緒形拳ありきの映画であったと言えるかもしれません。
松太郎のアパートの隣に住むんでいるのが、
横山真由美(高岡早紀)です。
彼女には別れた夫の間に5歳になる娘がいますが、
今は、水商売をしていて、ヒモと一緒に暮らしています。
自分のイライラ、うまくいかない状況を
娘の<幸>にぶつけ、虐待しています。
しかし、それは自分も親に愛されたことがなくて、
自分がされたことと同じことをしているだけだと言います。
この言葉、結構インパクトがあります。
彼女は意図して虐待をして入るわけではなくて、
子供の接し方がわからないだけであり、
虐待の連鎖であるわけです。
不幸な女は自分で不幸を作っていく
そんな感じの女性で、彼女には不幸がよく似合います。
自分から不幸になるように仕向けている気がしてならない。
結局1番大事なのは、自分であり、
自分以外のものには、関心がない。
「傘がない」と同じ状態です。
高岡早紀があばずれで、不幸の似合う女を見事に演じていました。
老人と少女の旅の途中で出会った
帰国子女のワタル(松田翔太)の登場で
一気にこの旅が光り輝きます。
彼はさわやかな好青年です。
彼に接して、<幸>も頑なな心を開きます。
でも、彼は帰国子女として、日本になじめず
さらに、いじめも受けていて、心に深い傷を持っています。
彼の自殺は意外あったので、
どうして?という疑問が今でも浮かびます。
この旅によって彼にも光が見えた気がしたのに、
彼の問題の解決までに至らなかったことが、
とても残念です。
奥田瑛二は「少女」「るにん」に続いて、
本作が3作目の監督作品だそうですが、
実に良い作品で、
この作品が、モントリオール国際映画祭
2006ワールドコンペティション部門で
グランプリを受賞したのも充分頷けます。
彼は、いい目を持った監督で
今後に期待したいと思います。
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