続三丁目の夕日

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ALWAYS 続・三丁目の夕日 h19.11.15 半田コロナ

続・三丁目の夕日を見てきました。
始まって2週間ばかりだからということもあるけど、
大きな劇場の大半が埋まっていて、大ヒットの予感がありました。
特に小さな子供を連れての家族が多かった気がします。
マンガやアニメなどの子供用の映画でない映画に、
子供を連れて来ることは賛否両論があると思います。
若い夫婦が揃って映画に来るためには、子供を預ける場所がないことも
あると思いますが……。
この映画の楽しさは小さな子供には、
ほとんどわからないと思います。
私の周りで退屈してごそごそしていました(笑)。
映画によっては、日曜日の午後に映画館に行くと、
こんなリスクもあるんですね(笑)。

これでこの映画は完結なんでしょうか?
前作の未解決な部分がほとんど解決をしまいました。
もっと続けてほしいから、ちょっと残念ですね。
茶川に芥川賞をとってもらいたいものです……。

ラストシーン、こうなると予想した通りになりました(笑)。
だれでもわかりますよね……。
でも、こんなハッピーエンドがうれしいですね。
そして、わかっているけど、次から次へと涙があふれて来ました。
そして、感動的な場面だけでなく、
笑いも一杯あって、面白かったです。
朔的には☆は4つで、大推薦です。

前作の続編だから、この映画を見る時は
前作を見ておいた方が良いと思います。

あれから、半年くらいの時間経過なんでしょうか?
淳之介(須賀健太)の成長ぶりがすごい。
背も伸び、声も変声期です。そして、演技もさらにうまくなった。

あいかわらず、いろいろな感動話の天こ盛りです。

鈴木オートには、事業に失敗した親戚の娘美加が預けられます。
この少女が実にうまい。
以前は成城に住んでいたお嬢さんが、庶民の生活に触れて
人間的に成長していく姿をうまく描いていて、
感動させてくれました。
これが、この家の息子一平の初恋になるのかな、
自分の少年の頃のことを重ねて見ていました。

鈴木オートに勤める六子(堀北真希)の所に、幼馴染みで
一緒に集団就職してきた少年が訪ねてくる。
彼は、コックを喧嘩してやめて、
悪い道に行くがそれを六子が正しい道に戻す。

鈴木オートの女将さん(薬師丸ひろ子)の
結婚前の恋人との日本橋での偶然の再会。
君の名を連想させるような、戦争が引き裂いた二人の愛、
もし、戦争がなければ二人は結婚をしていたはずです。
時代を感じますね。

茶川(吉岡秀隆)は淳之介と一緒に暮らしているが、
相変わらずの貧乏暮らしをしている。
淳之介は米代が上がった穴埋めに自分の給食費を使い、
自分は給食を食べずに我慢していたのを、
茶川には隠していた。

それを知った金持ちの父親に、
人並みの生活ができないとわかったら、
淳之介を引き取ると約束させられる。
それに発憤した茶川は死にものぐるいで小説を書き、
芥川賞に再挑戦し候補者として選ばれる。
でも、いろいろあったけど、結局は受賞できないが
その作品はヒロミ(小雪)への熱い思いを描いたもので、
それを読んだヒロミが、彼の元に戻ってきて、ハッピーエンド。

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三丁目の夕日

11/3日から続三丁目の夕日が始まりました。
まだ混んでいると思うので、もうしばらく後に見るとして
それに備えてビデオを借りてきて見ました(笑)。
この映画は自分の子供の頃の実体験と重なし、
記憶が鮮明なのに、どうしてもう一度見たいと思ったのか?
不思議です(笑)。
それは、この映画への期待度が自分の中で大きかったからだと思います。

次は再び見て、涙を流したシーンです。
◎少年雑誌への投稿が盗作だと分かった時、
淳之介が茶川を責めるのではなくて、うれしいと言った時。
◎鈴木オートに集団就職で来た娘が
自分は親に捨てられたと思って、お正月に国に帰らないと
意地を張っていた時、おかみさんが母親の手紙をもってきて見せた時。
◎茶川がなけなしの金を使って淳之介に
クリスマスプレゼントとして万年筆を送った時。
◎子供二人で電車にのって、淳之介の実の母を捜しに行って
みんな心配していた所に帰って来た時に、茶川が淳之介にとった行動。
◎淳之介の実の父親が名乗り出て、車でつれて行った時と、
そして、戻ってきて時の道でのシーン。

この映画は日本人の気持ちをよく理解しとらえています。
特に、昭和33年、東京タワーができると世界一になるという
誇らしいような気持ちは、都民だけでなく、
日本人すべてに共通したものです。
力道山の世界一と同じように、日本人に希望と自信を与えてくれました。

ラストに、家族で夕日をみて、
50年後も綺麗な夕日が見られるといいね、見られるよ。
というシーンがありました。
そして、50年経った今、夕日は綺麗でしょうか?

あの当時、自分の家は貧乏でした。
でも、それで卑屈にもならなかったし、
普通のことだと思っていました。
それは日本中が貧乏だったからです。

貧乏な時代を知っている幸せ。
なぜなら、幸せとは相対的なものだから。
あの時代はなつかしくて、
今考えれば良いことしか思い出せないけど、
嫌なこと辛いことも一杯ありました。
だから、戻れたとしても、あの時代には戻りたくありません。

 


 

 

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