善き人のためのソナタ

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善き人のためのソナタ DVD h20.10.2

 「善き人のためのソナタ」をDVDで見ました。
 
 朔的には☆は3つ半で、ラストのすばらしさに感動しました。
あのラストがなかれば☆は3つで、
何ともさびの利かない映画になっていたでしょう(^_^;)。

 1984年、東西冷戦下の東ベルリンが舞台。
国家保安省(シュタージ)局員のヴィースラーは、
劇作家のドライマンと舞台女優である恋人の
クリスタが反体制的であるという証拠をつかむよう命じられる。
そのため、二人の部屋に盗聴器を仕掛け、四六時中監視をしていた。

 彼は国家を信じ忠実に仕えてきたが、
盗聴器を通して聞こえてくる二人の、
自由、愛、音楽、文学の話題に影響を受け、
いつの間にか今まで知ることのなかった、新しい人生に目覚めていく。

 真の善意とは、人に気づかれずにそっとやるものであるが、
でも、それがどこかで、いつか報われたら良いと思うのは人情です。
決してそれを期待しているわけではないけど…。
特に彼はそれによって人生を狂わすことになったのだから、
報われて本当に良かったと思う。

 国家による国民の監視、
これは東ドイツのような社会主義国家だけのことではなく、
戦前の日本もそうだったし、
今でも世界中にそんな国は幾つもあると思う。
それは、その体制を維持していくためであり、権力側の都合です。
権力を持った体制側にとって、不都合な人間は無実の罪を
でっち上げてでも抑えつけていく。

 ベルリンの壁が崩壊(1989年)する5年前の話。
あの壁崩壊の衝撃の映像は今でもはっきりと覚えているが、
その少し前の東ドイツはこの映画のような状況であったわけです。

 ちょっとした反体制的な発言も許さない、
それを盗聴や密告で監視する東ドイツの怖さ、
そこには自由が全くない。
特に芸術家やジャーナリストは反体制になりやすいので、監視が強い。

 では忠実なシュタージ局員がどうして変わったのか?
彼は自分の国が一番だと思っていたが、
それは自分の国しか知らないからである。
また、それを知らせない国家でもあった。

 彼は盗聴によって二人の話を聞くことで、
西側の音楽や文学を知り、自由の素晴らしさを知り、
二人を助けたいと心から思った。

 人は自分が生まれる時代や、体制を選ぶことができない。
もし自分がその時の東ドイツに生まれたとしたら、
人間として自分はどうしたであろうか?
体制側について積極的に生きるか?
反体制として捕らわれ罪人になるか、
はたまた貝のように口を閉ざして自分の殻にこもって生きるのか?

 おそらく私は貝になるでしょう。
拷問にも耐えられないし、刑務所も嫌である。
こんなことを考えると、つくづく今の自分の幸せを感じる。

 人として悪くなくても、その時代や体制によって、悪人になってしまう。
上の命令に従って行動したとしても、歴史がそれを許さない。
国家体制の中で仕事としてやったことが、人を苦しめることになるという
この残酷さ、そしてやらねば自分がやられる。

 この映画から、人の弱さと強さを学んだ。
盗聴によって真実を知り、善き人に変わっていく彼は、
実際には持っていたけど、
隠れていた善の部分が表れたのでしょう。
 映画の中では<善き人のためのソナタ>を曲を聴くことで、
隠れていた善が表に表れてきたようになっているが……。

 彼は、運が悪くて、運が良い人間である(^_^;)。
裏切りがばれ制裁を受けても、
しばらくするとベルリンの壁が崩壊する(*^_^*)。
 

 

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