グラン・トリノ

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グラン・トリノ h21.5.6 半田コロナ

 朔的には☆は4つです(*^_^*)。
素晴らしい作品、全く非の打ち所のない作品でした。
会話一つ、行動一つにも意味があり、計算されています。
何よりも簡潔で、しかもわかりやすいストーリーが良いですね(*^_^*)。

 題名の「グラン・トリノ」とは?
1972年製のフォード社の高級クラシックカーのことです。
主人公のウォルトは定年までフォード社で勤め上げ、今は隠居の身
自分がフォードで働いていた証、
誇りとして「グラン・トリノ」を愛し、
それを磨き上げることに、老後の楽しみを見いだしています。
そのため、彼にとっては単なる車ではなく、
自分のプライドそのものでもあります。

 また、「車社会=アメリカの繁栄」
特にフォード社にアメリカンドリームが感じられるのは、
創業者のフォード氏の存在があるからでしょう。
その意味では、「グラン・トリノ」は
アメリカ人の誇りを象徴している気もします。

 主人公のウォルト・コワルスキー
(クリント・イーストウッド)の人となりとして、
@徹底的な人種差別主義者 A朝鮮戦争の帰還兵
Bグラントリノを愛している。
この3点から、古きアメリカ人の典型、
古き良きアメリカの象徴である気もします。

 西部劇の主人公よろしく、頑固一徹の老人です。
ポーランド系のアメリカ人で、その名前からもそれが伺えます。
 朝鮮戦争に参戦し、そこで12人を殺しますが、
その凄惨な地獄のような体験を呪うと共に、
密かに誇りにも思っています。
 徹底的な人種差別主義者、
特にアジア系(黄色人種)に対する差別は、
朝鮮戦争の影響が色濃く残っている気がします。
差別的な言動や行動は、そこまでやるか?という感じですが、
本音は言葉ほどではない気もします。

 妻が亡くなり、教会での告別式から映画は始まります。
その場面だけで、彼の性格、生き様、家族関係が
一瞬の内にわかってしまうのですから、
イーストウッド監督の演出の凄さを実感します。
孫のへそだしルックに嫌悪し、自分の子供達の
身勝手さを嫌い、妻の死後も一人
この場所で暮らして行きます。

 自分の家の隣に住む白人が越して、
モン族(ベトナム、ラオス、中国の周辺に住む山岳民族)の、
一家がベトナム戦争から逃れて越してきます。
これに象徴されるように、自分の住んでいる町から、
どんどん白人がいなくなり、そこに他の民族が入りこんで、
まるで征服されるような感じを彼は受けたのでしょう。
しかし、彼はそこで文句を言いながらも、とどまっています。

 隣のモン族の一家(祖母、母、姉と弟)には、父親はいません。
ベトナム戦争のためなのでしょうか?
弟のタオは、頭が良く心優しい少年ですが、
気が弱く、頼りないので、同じモン族の不良グループからいじめられ、
強引に仲間に入れられそうになっています。

 本人は嫌がっているのですが、
多勢に無勢どうすることもできません。
それを姉のスーだけが必死でかばっています。

 ある日、ウォルトは自分の庭で
不良グループに絡まれているタオを助けまs。
そしてそのことが縁で、スーと仲良くなり、
家族とも親交を深めていきます。
モン族には、不思議な風習があり、戸惑うウォルトですが、
自分の身内より、モン族の人々と一緒にいる時の方が、
やすらぎを覚えることを知り苦笑をします。

 しかし、あきらめない不良グループは、
タオにウォルトの「グラン・トリノ」を盗むことを命じ、
タオは仕方なしに実行しますが、ウォルトに見つかり失敗をします。
深く反省したタオは、その罰として、
一週間ウォルトの手伝いをすることになりますが、
それがモン族の習わしでした。

 一緒に働く内に、タオが好きになったウォルトは、
彼を一人前の男として仕上げるために、いろいろと手助けをしますが、
このやりとりが面白いです(*^_^*)。
そして、タオに仕事を世話し、デートのために
自分の大事な「グラン・トリノ」を貸してやります。

 そして、仕事も見つかり、これからという時に、
タオは再び不良グループに絡まれ
たばこの火を顔に押しつけらます。
それを知ったウォルトは怒り、このままではタオはだめになると思い、
不良グループに制裁を加えます。
しかし、このことが結果的に悪い方向に進み、
ある夜、タオとウォルトの家に機関銃がぶち込まれ、
タオはけがをし、伯母の家にいたスーは強姦をされてしまいます。

 怒り心頭に達したウォルトですが、
ここは冷静に、どのようにしたら良いかを考えます。
そのウォルトのとった方法とは?

 この方法を私は思いつきませんでした。
でも、後から考えて見れば、映画の中に付箋がはられていたりして、
当然と言えば当然であり、これしかないという最善の方法でした。

 血を吐いて、死期の近いウォルトの健康状態を考え、
さらに二人が安心してこれから先、
暮らしていける状況を作り出すことを考えると
これがベストでしょう。
とにかく、暴力では何も解決しません。

 人は死ぬことで生まれるものがあり、
ウォルトは自分が死ぬことで、タオとスーという新しい命を活かしました。

 イーストウッド監督は、今まで法の裁きを超えたものを描いてきましたが、
今回は法に裁きをゆだねました。
これが彼の最後の出演作になるとか‥‥
(でもこれからも、監督は続けるそうです(*^_^*)。)
そういう意味からも、味わい深い作品でした。
 

 

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