剣岳 点の記

映画の目次へ 

 

剣岳 点の記 半田コロナ 6月21日

 朔的には☆は3つ半で、お薦めです(*^_^*)。

 封切りの翌日の日曜日に見てきましたが、
いつものコロナなら日曜日は空いていますが、この日は別でした。
熟年夫婦を中心にして、200人くらい入る劇場が2/3程度の入りで、
大ヒットの予感がします。
熟年世代待望の映画ですね(*^_^*)。

 久しぶりに骨太の映画を見ましたが、
たまにはこんな映画もいいですね(^_-)。
新田次郎の同名小説の映画化ですが、
明治時代の日本人のたくましさ、真面目さを感じました。

 いろいろと「くさい」と思う所もありましたが、
まあそれはそれとして、それ以上のものがあり感動しました。
上映時間が139分とちょっと長かったかな?
史実に基づいているので、
終わり方が難しいと思いますが、
私は剣岳に測量隊が登った時で終れば良かったと思います。

 日本山岳会との一番争いが前面に出ていましたが、
それが逆に測量という目的をもった
陸地測量隊の価値を高めていた気もします。
西洋の最新の装備や技術を使っての登山と、
草鞋をはいた日本古来の登山技術との対比も面白いですね。
でも勝負を決めた最大の要因は、山を知り、
山を愛する案内人の存在でした。

 結局剣岳には名も知らぬ行者が、
すでに登っていたという落とし話がありましたが、
そのことによって彼らの業績が揺るぐものではありません。
それは初登頂が目的ではなく、三角点を作り
測量をすることが目的であったからです。

 この時の陸軍参謀本部は、メンツにこだわり、
大局的にものごとを見ることができず、
結局は自分達の利益だけしか考えていないものでした。

 この映画の描く時代は、日露戦争の後の日本ですが、
戦争ではロシアに勝っても、
外交では思うようにいかず、
ロシアの朝鮮への進出意欲が陸軍の危機感を煽っています。

 これに断固戦うには、まずは国内を固め、国力をつける必要があり、
そのためにも地図の完成が急務でした。
その当時の日本地図の空白点は、
立山連峰の剣岳であり、
ここに測量点を作らなければ日本地図は完成しません。
それも日本山岳会などに一番乗りを許しては陸軍の威信に関わり、
どんなことをしても一番乗りを果たして地図を作れというのが、
陸軍参謀本部の考え方でした。

<あらすじ>
 明治40年、陸軍の測量士柴崎芳太郎(浅野忠信)は、
突然陸軍参謀本部から呼び出され、
前人未踏の剣岳に登り、測量のための三角点を作ることを命じられます。
一番乗りになること、失敗は絶対に許されないという条件付でした。

 半年前、下見のために立山に行き、
剣岳の登り口をいろいろと探ります。
その時選んだ案内人が、宇治長治郎(香川照之)でした。
しかし、厳しい自然に阻まれ、
登り口を見つけることができなかったばかりか、
登頂は不可能にさえ思えました。
しかし、地図を作るという使命感に燃える柴崎は
運を天に任し、翌年チームを組んで、剣岳の登頂をめざします。
そして、期を同じくして日本山岳会も剣岳への登頂をめざします。

 剣岳の自然は、雪崩、吹雪、クレパスと危険が一杯で、
その映像の凄さと美しさは、CGにはない自然そのものの美しさで、
よくそこまでできたと感心をしました。
この感動は絶対に映画館で見るべきものです。
この日は混雑していて、前の方の席しか座れなかったですが、
それが幸いしラッキーでした(*^_^*)。

 浅野忠信のどっしり落着いた雰囲気が、
頼りになるリーダーとしての存在感を醸し出していました。
そして、喜怒哀楽の少ない寡黙さが、責任感の強さを表現していました。

 香川照之のうまさが光っていました。
彼の生まれた大山村は立山信仰の村、
そして剣岳は死の山と言われ、登ってはいけない霊山でした。

 山に登りたいという人を登らせるのが
案内人の役割であると、彼は考えていました。
そこに立山信仰を巡っての息子との確執がありました。

 自分は案内人に徹する、この気持ちが剣岳の登頂が可能となった時
「自分が一番先に登っては申し訳ない」という気持ちになり、
測量隊に先頭を譲ります。
しかし、柴崎は我々は仲間だから、
誰が一番ということはないと彼を諭します。
 

 

上に戻る