ダウト−あるカトリック学校で− h21.9.4 DVD
朔的には☆は3つ半、すばらしい作品でお薦めです。
ダウトとは疑うこと。
<ダウト>というトランプのゲームがあります。
順番にトランプの数字を出していって、相手が出したトランプの数字が
本当かどうかを当てるゲームで、数字が違うと思うと「ダウト」といいます。
頑なな「ダウト(疑い)」は怖いものです。
一度自分がそう信じてしまえば、真実は意味がなく、
「こいつなら何と言おうと、やっているに違いない」
というその人物に対するイメージ、
言い換えると生理的な好き嫌いの問題になってしまいます。
「そういう人間だと思いこんでしまう」
これが冤罪を産む原因でもあります。
1964年のニューヨーク。
ブロンクスにある、カトリック学校セント・ニコラス・スクールでのこと。
この年は、ケネディ大統領が暗殺された年、
そして、日米の初めての同時衛星中継の時で、
その時、アメリカから送られてきた映像が
ケネディ暗殺の生々しい様子でした。
そんな激動の時代、大きく変わっていくアメリカ。
それはカトリック学校であっても例外ではなく、
現実に合わせ変わっていかなければならないが、
変わるべきではないとの信念の元
それを断固拒否する校長(メリル・ストリープ)がいます。
彼女は頑固で、独特の価値観を持ち、
自分が一番正しいと思いこんでいて、決して人の考えを受け入れません。
それに対して、進歩的で柔軟、人当たりの良いフリン神父
(フィリップ・シーモア・ホフマン)は、人気があります。
そんなフリン神父を校長は生理的に嫌っています。
そんな矢先、若い女教師からフリン神父が黒人の生徒のドナルドと
不適切な関係にあるのではという「ダウト(疑い)」を聞きます。
これ幸いと、フリン神父を追求し彼が学校から出ていくように仕向けます。
黒人の生徒ドナルドはかわいそうな境涯で、
誰かの庇護が必要であり、
その庇護者を自認していたのがフリン神父でした。
その結果、ドナルドを特別に可愛がっているように、
女教師から見られてしまいました。
彼のドナルドへの目的は少年愛か?
真実はわかりませんが、
この映画を見る限り彼には否はないと思えます。
懸命に潔白を証明するフリン神父、
でも校長はそれを受け入れません。
それは校長には、「不適切な関係」が真実であるかどうかはあまり意味がなく、
フリン神父への人間性への疑いだったからです。
この二人の会話を聞いていると言葉の虚しさを感じます。
真実はどこに?
でもそれは誰にもわからないこと、<神のみぞ知る>ですね(^_^;)。
校長役のメリル・ストリープの、
頑固一徹な鉄の女は怖いくらいの名演技でした。
かたやホフマンもすばらしい神父役で、
彼のする説教には包容力と説得力がありました。
そして何よりも、黒人生徒のドナルドの
母親役を演じたヴィオラ・デイヴィスの
鬼気迫る名演技は一見の価値があります。
それから、DVDに付いている特典映像ぜひ見て下さい。
これによって、この映画の深い意味が理解できます。
|