アーティスト h24.4.15 東浦TOHOシネマ
朔的には☆は3つ半(70点)です。
本年度(第84回)アカデミー賞の作品賞、
主演男優賞、監督賞など5部門を受賞した作品で、
モノクロでサイレント(無声映画)ということでも
話題になりました。
1920年代、映画がサイレントからトーキーへと
移行する時期のハリウッドを舞台に、
サイレントの大スターとトーキーの新進女優との
ラブストーリーを描いています。
私はアカデミー賞の審査員好みの映画だと思いました(*^_^*)。
フランス人の監督が、フランス人の俳優を主演に使うのですから
本来ならフランス映画なわけですが、
そのハッピーエンドな終わり方を含めて
すっかりハリウッド映画で、
フランス映画とは明らかに違う雰囲気をもっていました。
時代の流れは誰にも止めらません。
流れに逆行すれば挫折し、
うまく乗ることができれば成功をします。
時の交差点で、過去の人と未来の人がすれ違い、
そこに恩とか感謝とか、
憧れや恋が入ってくると人間ドラマとなります。
頂点に達した人間は幸せなのでしょうか?
頂点を知らない私が言うのもなんですが、
なまじその味を知ったばかりに、
味わなくても良かった悲しさや辛さを
感じるのではないかと思います。
頂点に達した後は落ちていくだけで、
づっと頂点に居続けること(例えば明石家さんまのように)は、
奇跡的なことです。
特に芸能界はそうで、時の移ろいと共に、
人の心も好みも簡単に変わるものです。
まさに諸行無常、流れる水の如しです。
人の運命を変えるのは、ちょっとしたチャンスであり、
それをうまくつかめるかどうかで勝負が決まってきます。
才能があり世に出るべき人は、
どんな小さなことでもチャンスに変えることができます。
そしてその逆に、世に出ることができない人は、
壁を越えることができません。
私の経験から壁があることを意識し、
それをなんとか超えようと思った時からすでにだめであり、
決してその壁を越えられません。
超えられる人は何も知らずに超えた後で、
そこに壁があったことに気づくものです(*^_^*)。
映画がサイレントからトーキーへと移行した1927年。
それまでのスターが当然だと思っていたオーバーな演技が
通用しなくなります。
声がでることによる変化、
それに合わせた演技が求められたからです。
サイレント映画こそ芸術だと思っていたジョージは、
トーキーを拒否しそれと決別します。
そこには彼のプライドがありました。
新しい時代に合わせるためには
そのプライドを捨てることが必要です。
シンプルでわかりやすいストーリー。
古典的な映画の基本とも言えるもので、
次はこうなって行くだろうとか、
こうなってほしいと思った通りの展開になっていきました(*^_^*)。
だから安心して見ていられます。
トップにあるものは下を引き上げ面倒を見る。
そしてその人がトップになれば、
落ちていく恩人を助け引き上げていく、それが正しい人情です。
そんな昔の温かい人情を思い出させてくれました。
それは映画の世界だけでなく、
どんな社会でも共通することです。
だから感動をするのでしょう。
今は残念なことに、それが少なくなりました。
恩返しは日本人の好きなテーマで、
「鶴の恩返し」など日本昔ばなしにはそれであふれています。
男と女の関係はよく「金の切れ目が縁の切れ目」と言われます。
ジョージ夫妻は今は愛し合うどころか完全に憎み合っていますが、
金が接着剤となっていました。
でもジョージがおちぶれると、あっという間に壊れてしまいます。
まあ全ての人がというわけでもなく、
ペピーのようにそうでない人もいます。
やはり愛が重要で、
真の愛があれば……ちょっと甘いかな(*^_^*)?
サイレント映画で、字幕も抑え気味にしてあるので、
人のせりふをクチパクから読み取らざるを得ないので、
よけいに想像力を狩り立てられます。
足りない分を映画音楽がバックアップしていました。
後から字幕が出て、自分の思った通りであるとうれしいものです。
そして今回はだいたい当たっていました(*^_^*)。
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