踊る THE FINAL

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踊る大捜査線 THE FINAL 新たなる希望 
h24年9月9日(日) 半田コロナ

 朔的には☆は3つ半(75点)です。
このドラマは1997年にスタートしたそうですから、
かれこれ15年になります。
その間楽しませてくれた青島刑事(織田裕二)に敬意を表して……。

 THE FINAL というのは映画はラストで
テレビの方はまだあるかもしれないということなのでしょうか?
もしそうだとするとうれしいのですが……。

 今回の映画の終わり方は、完結というよりも、
先に続くという付箋が感じられたものでした。
だから、この続編があるかも……。
そんな奇跡を楽しみにしています(^_^;)。

 踊る大捜査線は青島刑事、
即ち織田裕二の魅力につきると私は思います。
その青島刑事の切れが、
年と共に悪くなっていきました。
そしてそれに比例するように、
このドラマの魅力が減って行った気がします。

 「事件は会議室ではなく、現場で起きているのだ」
この青島刑事の名台詞のように、
このドラマは本店(警視庁)と支店(県警)の対立が
メインテーマとなっています。

 現場で汗水垂らして捜査をしている、
支店のノンキャリアー組と、それを会議室で管理している
本店のキャリアー組との対立。

 自分が出世くることで、
腐った警察組織をなんとかしようとする、
警察キャリアーである室井(柳葉敏郎)。

 彼は、青島の熱意になんとか答えようと、
組織の改革に必死になるが、
それを阻止しようと警察官僚が立ちはだかります。

 警察に限らず、組織には矛盾は付き物です。
命令系統をはっきりさせ、上の命令は絶対という
体勢ができていないと、組織はうまく機能しません。
特に軍隊とか警察はそうです。

 もし、命令が自分の意に添わないものであった時、
組織人としてその命令を拒否することができるのだろうか?
(やめる覚悟ができていれば別であるが…)

 組織を守るためにやったこと、
組織の命令に従ってやったことでも、
法律に反するものであれば、社会的には罰せら、
犯罪の認識がなくても、犯罪に加わってしまう怖さがあります。

 組織にとってふさわしくないことがあると、
それをなんとか隠そうとします。
それが組織というものです。
隠すことから矛盾が生まれ、それを補うために
さらに、嘘を重ねることになります。

 最近では大津市の、学校ぐるみ、
教育委員会ぐるみのいじめの隠蔽がその例です。

 今回の映画では、警察官による犯罪を隠蔽する
ことが発端となりました。

 その事件のきっかけとなったのは、
規則だからと上司の命令によって捜査を打ち切ったこと、
それによって人の命が奪われたことでした。

 そのような人間性のない組織を変えることを
目指してきた警察官僚が、今のままではそれを実現することは
絶対に無理だとあきらめ、
最後の手段としてとった、正義感からの行動でした。

 ラストで青島刑事が言った
「正義なんてものは心に中にしまっておくくらいがちょうどいい。」
心にぐさりと刺さりました。
まさに行き過ぎた正義感には毒が含まれています。

 ドナルド・キーン(日本文学研究者)が、
「オリンピックで金メダルを取ったからといって、
偉いわけではない。」と言っていました。
誤解されやすい言葉ですが、
きっと彼は、メダルとその人の人格は
関係ないと言いたかったのではないでしょうか?
(もちろん、メダルを取った人の中には人格者もいます)

 それと同じように、組織上の地位の高さは、
組織や仕事の上のことだけであって、
必ずしもその人の人格が優れているわけではありません。

 えてして、地位の高さと人間性(人格)は反比例することが
多いことを私は経験から知っています。
もちろん、中には人格的に優れている人もいるし、
そうなろうと努力をしている人もいるから、
一概にはいえないと思いますが……。
 

 

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