華麗なるギャツビー

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華麗なるギャツビー h25.6.23 半田コロナ

 朔的には☆は三つ半(70点)です。

 この映画の描く1920年代のアメリカは、
バブルの全盛期でまさに華麗なる時代。
アメリカは第一次世界大戦に勝利し、
さらに自国が戦場にならなかったことから、
世界中の富がアメリカに集まり、空前の繁栄をします。

 景気が良くえ、天井知らずにどんどん上がる株、
誰もがこの繁栄が永遠に続くかのごとく信じていました。
若き謎の大富豪ギャツビー(レオナルド・ディカプリオ)は、
そんな時代の寵児でした。

 彼の豪邸では、毎週土曜日、
招待状もなしに大勢の人が勝手にやってきて、
絢爛豪華なパーティが繰り広げられていました。

 そのパーティは何のためなのか?
そしてギャツビーは誰であり、
どこからきて、どこへ行こうとしているのか?

 誰も本当の彼を知らない、
このギャツビーの謎を偶然彼の邸宅の
隣に越してきたニック(トビー・マグワイア)が解いていきます。
そこには、デイジー(キャリー・マリガン)への秘めた愛がありました。

この映画を見ながら、こんな言葉を思い出しました。
曰く「男はその女の最初の男になりたがり、
女は、その男の最後の女になりたがる」

 まさに、この言葉のように、
ギャツビーは最愛の女性デイジーにとって最初の男になりたがり、
自分と知り合った5年前からずっと自分だけを愛していてほしかった。

 愛し合った二人はわけあって結婚できず、
デイジーは別の男と結婚しますが、
それは仕方がなかったからで、夫を愛していたからではない。
今でも自分だけを愛していると言ってほしいと願っていました。。
夫には一度も愛を感じたことはない、そのことに強くこだわります。

 でも、デイジーはそれよりも
今愛しているのはギャツビーなのだから、それで良いのではないか?
たとえ、夫を愛していた時期があったとしても……。
つまり、私はギャツビーにとって最後の女なのだから、
それ以上何を望むの?という心境だったのでしょう。

 この男と女の愛に対する考え方の違い、
ここからこの映画の悲劇が生まれました。
もし、ギャツビーがもう少し柔軟な考え方ができ、
デイジーも軽い嘘がつけたら、
話の展開は大きく変わっていたことでしょう(*^_^*)。

 愛に妥協をしないギャツビー
彼はお金や名誉よりも、愛に大きな価値を見いだしています。

 でも私はどちらかというと最初の男よりも、
「最後の男」になりたいほうです(*^_^*)。
それは愛でも、恋でも、友情でも、
これから先もずっと続いていくことに意味があるからです。
昔の恋のようにもう終わってしまって、
会うこともない人には、それほど価値を感じません。
もちろん、愛されていたとか、初恋の人であったという
感じを受けることはうれしいことですが……。

 1929年のニューヨークウォール街での
株の大暴落をきっかけに、世界大恐慌が起こり、
そして第二次世界大戦へと時代は移っていきます。

 夜空を彩る花火のように、華やかな世界から一変、
暗黒の世界へ、それはまるでギャツビーの人生のようです。

 華麗でゴージャスなギャツビーは、
まさにディカプリオにぴったしのはまり役です。
そして、恋人役のキャリー・マリガンの可憐な美しさは、
5年間もあこがれ続けても、
何とかものにしたいと思わせるものがあります(*^_^*)。
一人の女性のために、自分の人生をかける、
そんな気にさせる女性です。
 

 

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