東京物語 平成25年1月23日(水)
阿久比ユナイテッドシネマ
朔的には☆は3つ半(75点)でお勧めで、
今の日本の家族のあり方を問うた映画でした。
小津安二郎監督の名作「東京物語」をモチーフに、
設定を現代に置き換えた、山田洋次監督の作品です。
瀬戸内海の小島に暮らす周吉(橋爪功)と、
妻とみこ(吉行和子)は、
久しぶりに子供達に会うために、東京にやってきます。
長男の幸一(西村雅彦)は小さな医院の開業医、
長女の滋子(中嶋朋)は美容院の経営と
それぞれ家庭を持ち頑張っていました。
ただ次男の昌次(妻夫木聡)だけは、
いまだに結婚もせずに、
舞台装置を作るという仕事に夢をかけていました。
長男が医者になるために東京に出たことをきっかけに
残りの子供達も兄を頼って島から出て行きます。
父は長男には島で医者になってほしいと思っていました、
それを果たすことができなかったことが心残りでした。
最初こそ、両親の上京を歓迎し、家族の再会と絆を
確かめあいますが、何日もそれが続くうちに
子供達は日々の生活に追われ、
内心では「いつまでいるの?」という気持ちが芽生え、
上京した両親の存在を、やっかいなことと考えるようになります。
「日本はどこで間違ってしまったのか?」
この言葉は、周吉が旧友と居酒屋で飲むシーンで漏らした愚痴です。
この周吉の言う間違いとは、
家族のあり方のことだと思います。
おそらく彼は、薄情な子供達を思い、
戦前のような大家族制度に思いを馳せたのかもしれません。
この映画は「東京物語」を現代に置き換えたそうですが、
それを考えると、やや違和感がある所もありました。
私の聞き間違いでなければ、妻のとみこは68歳です。
とならば、夫の周吉も70歳くらい、
でも、今時の60代(私は今62歳ですが)は、
映画のようにあんなにヨボヨボしていません(^_^;)。
主人公の夫婦は、少なくとも上京した時には、
いつか子供達と一緒に暮らしたい
(子供達もそう思っていると)
という思いがあったと思います。
でも、その思いも現実の子供達の生活を見ることで
無理だと気づきます。
でも私に言わせれば、そんなことは当たり前のことで、
それに気づかなかった方が不思議でなりません。
子供達は、両親の面倒をみることができなくなったので、
お金を出して、横浜の高級ホテルに泊めてやります。
子供にとってはこんな贅沢をさせるのだから、
親は喜んでいるに違いないと思っています。
でも、二人は外に出ることもなく、
部屋から見える、窓の外の景色ばから眺めているという
シーンがあり、とても印象的でした。
親はどんなに狭くても子供達の家に泊まりたいと思い、
どんなにかまってくれなくても、一緒にいたいと思っていました。
それが親と子の意識のずれです。
子供としては、どこかへ連れていかければ退屈をさせてしまうと考えます。
だから、退屈をさせないように気を使い、どこかへ連れていこうとします。
そして、それができないことに罪悪感を感じます。
でも、私はホテルに籠もって、
何もしない夫婦にも責任があると思います。
一人、または夫婦で、楽しむこととか時間をつぶすことを
見つけておくべきだからです。
決して人や家族に、
何かをしてもらおうというネガティブな気持ちではなく、
積極的に楽しみを見つけていくことが大切です。
なぜなら、基本は自分だからです。
子供達には子供達の世界があり、家庭と家族があります。
それはいつの時代でもそうであり、
自分の家庭を一番に考えるのは当たり前の話です。
周吉は頑固で無口(日本の父親の原型)
でも深いところでは家族を思い、しっかりと人を見ています。
そして、感謝の気持ちを忘れません。
とみこ(吉行和子)は、
徹底的にやさしく、日本の母の原点で、
亡くなった自分の母親を思い出しました。
次男の昌次(妻夫木聡)と恋人(蒼井ゆう)が
この映画に深さを与えてくれました。
兄に比べて出来の悪い次男、
そのことを常に言われ父親を恨んでいました。
その解消がどのようになされたかも大事な映画のテーマでした。
そして周吉は最後に昌次の恋人(蒼井ゆう)に
[ほんとうに良い人だね]と言います。
この言葉の重さ、温かさを感じると
ほろっとして、涙が滲みました。
最高の褒め言葉ですね。
映画を見て涙が出てきたのは、
自分の今までの人生と重なることがあったからです。
今の自分は、子供の立場もわかるし、
親の立場もわかります。
島の人々の暮らしの中に、
都会にはない、古き良き日本の家族の原型があると、
この映画では言いたいのかもしれません。
でも、それが良いと考えている人もいれば、
煩わしいと考えている人もあります。
(私は煩わしいと考える方です。)
それは人それぞれです。
隣近所との濃密な関係が、癒しにもなれば、
煩わしさや不自由さを感じさせることもあります。
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