超高速 参勤交代

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 朔的には☆は3つ半(70点)でお薦めです。
29日(日)のお昼に行きましたが、老若男女とりまぜての結構な入りで、
大ヒットの予感がしました。

 映画で時代劇の喜劇はあまり経験がありませんが、
いいものですね(*^_^*)。
この映画の良かった点を分析すると、
まず第一は「勧善懲悪」が徹底されたストーリーであったことです。
主人公がどんな窮地に立っても、
必ずそれを乗り越え、正義が勝つという安心感がありました。

 その2は、時間と場所と目的がはっきりとしていたことです。
5日以内に大名行列の体裁を持って江戸へ行き、
それによって身の潔白を証明することです。

 「勧善懲悪」の映画は、悪の存在が重要で、
それも絶対的な巨悪であるほど面白いものです。
今回は私腹を肥やし、情け容赦のない、独裁者である
老中松平信祝を陣内孝則が熱演をしていました。
本当に憎らしさがにじみ出て、非の打ち所のない悪人でした。

 もっとも悪の存在も、トップではなく、その次くらいでないと
その巨悪を押さえることができず、正義が負けてしまいます((^_^;)。
最後はこの印籠が目に入らぬか?的な最高権力者の裁きが必要で、
この映画の場合は将軍吉宗でした。

 この映画の<超高速 参勤交代>という
人を食ったようなタイトルから連想したものより、
はるかに理にかなったものでした。
江戸までの8日間を5日間に短縮するのは、
秀吉の<中国大返し>のように、決して不可能なものではありません。
ただ参勤交代でという条件があるので、その体裁をつけるのが難しい問題でした。
もし殿様だけの江戸出仕なら早馬で行けばいいのですから……。

 参勤交代については、
いろいろと言われていますが、
これが徳川300年の平和の礎であったことは間違いがありません。
大名に大金を使わせ戦争が出来ないような経済状態にし、
さらに妻子を江戸に人質にすることによって
平和が保たれていました。
でも、それは裏返をすると、大名(特に小藩では……。)にとっては苦行でした。

 どんな理不尽なことでも、ルールを守り、
それによって身の潔白を証明するという日本人的な発想、
それがこの映画のヒットの原因のひとつかもしれません。

 湯長谷(ゆながや)藩(現在の福島県いわき市)は、
一万石の小藩ながら、藩主内藤政醸(佐々木蔵之介)は、
民のことを第一に考え、家来にも領民にも愛されている名君でした。
飢饉の時は領民の年貢をまけてやり、他の藩へは米を融通してやったりします。

 領内には金山がありましたが、実は金がでないので、
幕府へは収入0との申告をしていましたが、
それは不正申告であると老中は断じます。
そのわけは、隠密に金山を探らせ、
金が出るとの間違った報告を受けていたからです。

 以前から、その金山を我が物としようと考えていた老中は
このことをチャンスととらえ、湯長谷藩に無理難題をふっかけ、
取りつぶしをしようと画策します。

 普通の参勤交代は1年ごとであり、
それを帰ったばかりなのに、5日以内に参勤交代によって出仕し
身の潔白を証明せよとの命令が下されます。

 金山の不正申告は全く身に覚えのないことなれど、
8日はかかるのに、5日以内に参勤交代せよとのこと。
さらにはそれには莫大な資金がかかり、
貧乏小藩の湯長谷藩は、お金のゆとりがないこと。

 この難題を前に藩の考え方は分かれます。
しかし、藩主はもろもろの困難を解決するための知恵を出し合って、
参勤交代を5日以内でするという決意を固めます。

 佐々木蔵之介の飄々とした雰囲気が、この殿様と合っていて、
ほのぼのとした映画となっています。

ネットより
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 参勤交代(さんきんこうたい)とは、各藩の藩主を定期的に江戸に出仕させる事により、
財政的負担を掛けると共に人質をも取るための江戸幕府の制度である。
各藩は、藩主の江戸藩邸と国元の居城の二重の維持費が必要となり、
江戸と国元との行き来のために街道の整備や、大名行列の費用、
道中の宿泊費など多額の出費に迫られた。
この制度により各藩は徳川家に反旗を翻す事が非常に難しくなり、
徳川家が15代に亘る繁栄を築く要因となった。

 参勤は一定期間主君(この場合は将軍)のもとに出仕すること、
交代は暇を与えられて領地に帰り政務を執ることを意味する。
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