風立ちぬ

映画の目次へ 

 


 h25.7.25 半田コロナ

 朔的には☆は4つ(80点)で、超お勧めです(*^_^*)。
  
 日本映画が、自分の心情に直に伝わってくるのは、
自分が日本人であり、日本人の心、
日本の慣習や価値観がよく分かっているからでしょう。

 年々日本映画は良くなって来ていると思います。
それに引き替え、最近のハリウッド映画は、
やたらSFぽいものが多くなって、
内容の薄い映画が多いような気がします。
穿った見方をすれば、娯楽性に重点を置き、
わざと観客に考えさせないように、
しているような気さえします(;>_<;)。

<あらすじ>

 この映画は、太平洋戦争中、
世界的な名機と言われていた零戦を設計した、
堀越二郎の半生を描いています。

 彼は飛行機を作ることが、子供の頃からの夢で、
それを目指して勉強をし、東大に入学します。
大学生の時、列車で東京に帰る途中、
関東大震災に見舞われ、列車は脱線、
その時、奈緒子を助けます。

 時は過ぎて、東大を卒業した二郎は、
三菱重工に就職し名古屋工場に赴任します。
そこで戦闘機の設計を担当し、次第に能力を発揮し、
リーダーとして活躍をします。

 仕事に夢中になる時期が続きますが、
やがて、任された戦闘機の設計が意に反して失敗し、
その傷心を慰めるために、避暑地に向かいます。

 そこで、偶然菜穂子と再会し、
恋をして結婚を決意します。
でも、菜穂子は結核を患っていて、
それを直した時に結婚をすると約束します。

 この映画の中で、印象的なシーンがありました。
それは、仕事帰りの二郎が、夜遅く菓子屋で、
シベリヤ(どんなお菓子なのでしょうか?)を二つ買って
下宿に帰るシーンです。

※ シベリアとは、羊羹をカステラで挟んだ菓子だそうです。

 その店の前で、幼い女の子が乳飲み子を背負い、
弟と一緒に親の帰りを待っています。
店のおやじが、この子らのことを思うと、
店を閉めずらいと言っていましたが、
その優しい心遣いも素敵でした。

 お腹が空いていると思った二郎は、
買ったシベリアを少女に食べなさいと渡しますが、
少女は驚いたように、走って逃げていきます。

 下宿に帰ってその話を親友に話すと、
親友は「君は少女がありがとうといって、食べると思ったのか?
それは偽善である」と言います。

 二郎は決して、施しの気持ちではなく、
優しく純粋な気持ちからそう言ったと思いますが……。

 その少女のプライド、当時の家庭でのしつけ、
日本人の価値観みたいなものが、少女の行動に出ていて、
印象深かったです。

 太平洋戦争に突入する前は、世界的な大不況の時代でした。
貧富の差が少ないと言われる日本でも、
大きな差が出ていた時代でした。

 東大を出て、三菱重工業という大企業に働く二郎達や、
避暑地の豪華なホテルで、盛装してディナーを食べている人たちと、
この少女のシーンが対照的に映りました。
その頃の日本を象徴していたのでしょう。

 堀越二郎は、幼い頃から、飛行機を作ることが夢でした。
そのことだけを目指し、勉強をし、東大に入りました。

 彼は戦争の道具となる飛行機(戦闘機)を作ることに
抵抗はなかったのでしょうか?

 映画の中で、戦争に対する彼の考え方の積極的な
意思表示はなかったので、想像するしかありませんが、
辛かったと思います。

 でも、自分の仕事、自分の与えられた使命(より良い飛行機を作ること)を全うしようとしました。

 戦争はいつかは終わります。
その時自分のやった仕事は評価される、
そう考えたのではないでしょうか?

 戦争に対する態度には、大きく二つあります。
 戦争反対の声を上げ、抵抗をして、獄に繋がれる人。
自分の信念を貫き通すことは立派で尊敬できる人です。
その人たちは、戦争が終わったあと、
再評価をされ、報われるでしょう。

 それに対して、社会の大きな流れに逆らわず、
身をすくめるように暮らし、
その時代に沿って生きていく人の生き方です。

 戦争はよくない、反対だと思っていても、
時の権力を恐れ、声を潜め、
結果的に戦争を肯定したように映る人、
それも一つの生き方です。
でも、決して戦争を肯定したわけではありません。

 そして、それが大多数の人の生き方で、
おそらく、私もその中の一人だと思います。
堀越二郎の生き方もこちらに近かった気がします。

 ゼロ戦は一機も帰って来ませんでしたと、
感慨深く言う最後のシーン。

 戦闘機を作ったことへの後悔と共に、
形としての零戦はなくなったけど、
技術は後生へ受け継ぐことができた。
そんな思いがあったのかもしれません。

 自分が住む半田市との繋がりを感じ、
よけいにこの映画への思い入れが深くなりました。

 二郎は東大を卒業し、三菱重工に勤め、
最初の赴任地が名古屋になりました。

 二郎が名古屋駅についた時、
その駅に大きな看板で<カブトビール>とあり、
びっくりしました。

 カブトビールは、ミツカン酢の四代目中埜又左衛門が起こした、
丸三麦酒のことで、半田にある赤煉瓦工場で作られていました。
その当時のカブトビールは、
四大ビール(東京のエビス、横浜のキリン、大阪のアサヒ、
半田のカブトビール)の一角で、この地方のご当地ビールでした。

 零戦は三菱重工の名古屋工場で作られ、
エンジンは半田にあった中島飛行機で作られました。
戦争が激しくなると、カブトビールの赤煉瓦工場は
中島飛行機の倉庫として使われました。
そのため、赤煉瓦倉庫には、
空襲で受けた機銃掃射の跡があります

 「風立ちぬ」は、風が立っていないという否定の意味ではなく、
風が立っているという意味となります。
この題名は文語表現(旧仮名遣い)で、
この表現方法は俳句では常に使っています。

 「風が立つ、生きねばならない。」
 
 風が立つとは?直接的には、
二郎の設計した飛行機が、順調に飛ぶことを表しているのでしょう。

 でも私は、「世の中が動いている、時代が動いている。
だから、それに備えて、またはそれに沿って生きなければならない。
生きなさい。」と言っている気がします。

 小説「風立ちぬ」は、堀辰雄の名作です。
脚本は、この作品と堀越二郎の半生をミックスした
宮崎駿夫のオリジナル作品です。

 高校一年の時の国語の先生が、
とにかく堀辰雄の「風立ちぬ」が好きで、
授業のたびに読むように勧めてくれました。
文庫本を40冊教室に置いてくれて、
自由に読むように勧めてくれましたが、
読みませんでした。

 その頃の自分は生意気にも、
日本文学をバカにしていたので、
読みませんでした。
今思えば、読んでおけばよかったと後悔しています。

 戦争を描いていますが、反戦映画です。
具体的な戦争のシーンはありませんが、それを暗示しています。

  涙を止めることができなかったシーンがありました。
高原の療養所から抜け出した菜穂子は二郎と結婚し、
二郎の上司である黒川邸の離れで暮らすことになります。

 仕事のため、夜遅く帰って来た二郎は、
寝ている菜穂子のそばで、明日の為の仕事をします。

 その二郎に、もっとこちらにきてほしいという菜穂子、
そして、二人は手を繋ぎます。
その時二郎が「左手で計算尺を扱わせたら、
自分の右にでる人はいない」と冗談をいいます。

 しだいに菜穂子は、自分が二郎の仕事の足手まといになると感じ、
強く決心をして、高原の療養所に秘かに帰って行きます。
菜穂子は、黒川の奥さんに
「気分が良いから、少し散歩に出ます。
部屋が散らかっていますが、後で片づける」と
言って家をでます。

 しばらくして、不審に思った夫人が部屋を行くと、
部屋はきれいに片づけられています。
その時の奥さんの言葉、
「菜穂子さんは、綺麗な自分だけを見せにきたんですね。」
その時の、菜穂子の決意を思うと涙が止まりません。

 二人の純愛。
 当時結核は不治の病でした。
菜穂子が結核と告白し、死ぬと分かっているのに結婚をします。

 病気の菜穂子のことを考えれば、
結核の療養に専念させるべきではないか?と
周りの人は思ったことでしょう。
でも、二人は大切な時間を過ごしていたわけで、
一緒にいる時間の長さよりも、濃さを大事にしていました。
 

 

上に戻る