少年H

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 h25.8.28 半田コロナ

 朔的には☆は3つ半(70点)です。

 原作者の妹尾河童(せのうかっぱ)氏の本業は小説家ではなく、
映画や舞台のポスターを描くグラフィックデザイナーです。
また、夜のヒットスタジオ等のテレビや、
演劇の舞台装置を作る仕事に携わっています。

 1930年生まれの83歳ですが、
この間テレビの「さわこの朝」で本人を見ましたが、
とても矍鑠(かくしゃく)としていました。
あんな風に年がとれたら老人もいいなと、
少し勇気をもらいました(*^_^*)。

 本名は妹尾肇(はじめ)です。
彼の母親は熱心なクリスチャンで、
当時としては珍しく、息子のセーターにイニシャルのHを
編むような、ハイカラさんでした。
そのセーターを着せられたので、周りの人から、
Hと呼ばれるようになります。

 この映画は少年Hから見た、1941年から1947年頃
(戦前、戦中、戦後)までの日本を描いています。
物語は1941年から始まりますが、その時少年Hは
尋常小学校の5年生(11歳)でした。
この年の12/8日に真珠湾奇襲攻撃によって
太平洋戦争が始まります。

 少年Hは洋服屋を営んでいる父と
熱心なクリスチャンの母親と、
泣き虫で兄思いの妹の四人家族でした。

 父親役は水谷豊、母親役は伊藤蘭と、
実生活でも夫婦の二人が競演するということで
話題になっていました。

 最近は「相棒」の右京警部のイメージが強いのですが、
この映画での水谷豊もすばらしく、
彼の持つ独特な雰囲気を醸し出していました。

 私は1950年生まれで戦争を知らない子供ですが、
自分の子供の頃は、この映画に描かれた戦前の日本に
よく似た雰囲気であったと思います。

 学校での軍事訓練はさすがにありませんでしたが、
教師の体罰やいじめは似たようなことがありました。
特に意味のない教師の体罰は、決してあってはならないと、
今でも強く思います。

 この映画の中でも、何度も体罰があり、
その理不尽さに苦しむHがいました。
精神を鍛えるためには、体罰は必要とか、
悪いことをすれば体罰は当たり前という、
そんな体罰を肯定する考え方がありました。
教師特に、配属軍人による体罰はひどかったけど、
上級生の下級生への体罰もひどく、
同じ土壌の上に咲くものでした。

 ただ映画で残念だったのは、少年H役の少年が、
小学校から旧制中学校までずっと同じ子役だったことです。
なかなか途中で変えるのは難しいとは思いますが、
あまりにもHが幼くて、旧制中学生としては違和感がありました。

 私は中学生になった時に、
思い切って役者を変えた方が良かったと思います。
男の子は、12歳と17歳では大きく変わります。
 

 

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