h25.8.9 半田コロナ
朔的には☆は3つ半(70点)です。
天皇の戦争責任について、
ネットで取り上げるのは適切ではないと私は思っています。
それは、議論をして白黒をつけるべき問題ではないと考えるからです。
この問題(天皇の戦争責任)は、
今も日本人にとって、とてもナイーブで、
気をつけて扱わなければならないものです。
人によって意見の大きく分かれる問題であり、
正解のない問題でもあります。
このタブーとも言うべき問題を
真正面からぶつけてきたのがこの映画です。
映画に描かれていたことが、真実なのか?
それとも間違っているのか?
それは永遠の謎です。
この問題の唯一の解決法は、政治的に解決する事です。
どちらの選択がよりベターなものか、それにつきる気がします。
天皇の玉音放送で、ポツダム宣言を受諾し、
敗戦となった日本へ、連合国軍最高司令官として
マッカーサー元帥が、厚木へ降り立つ所から映画は始まります。
その時のマッカーサーの使命は、いち早く戦争犯罪人を裁き、
日本の占領政策を軌道に乗せることでした。
彼にはその成果によって、大統領選挙へ打って出るという、
野望がありました。
戦争犯罪人の中で最大のもの、そして最も難しいものが
天皇でした。
当時のアメリカの世論は天皇の処刑を望んでいましたが、
マッカーサーは、その扱い方を任せられ、決断を迫られていました。
彼は、天皇の戦争責任を調査するために委員会を組織し、
フェラーズ准将をチーフに指名します。
准将には、アメリカで知り合った日本人の恋人あやがいました。
二人は日米関係の悪化によって引き裂かれますが、
彼女の影響もあって、彼は日本文化を研究していました。
全ての日本人の精神構造が、武士道を拠り所としているとか、
天皇と一体であるとか、納得できない部分も多々ありましたが、
それでも、外国の監督が描いた戦前の日本としては、
違和感がほとんどなく上出来だったと思います。
結局、調査をしても、
天皇の戦争責任に完全に白黒つけることができませんでした。
それは、日本人の建前と本音、物事の決め方が曖昧であるとか、
暗黙の了解などの日本的な風習によるものでした。
准将は、日本人の天皇に対する気持ちを鑑み、
天皇を利用することが、今後の占領政策を
円滑に運営するのに適切であり、
絶対必要であるという結論に達します。
これは妥協の産物で、
もし天皇を処刑するという選択をすると、
どんなことが起こるかわからない、
日本人の暴走をくい止める精神的な支柱としての
天皇の役割を重視し、戦争責任を不問に伏しました。
歴史はやり直すことはできないので、
どちらの道が正しかったかを判断するのは難しいことですが、
このことによって、戦争が完全に終り、
それから先の経済発展によって、
日本の復興もうまく行ったことはよかったことです。
この結論を出したマッカーサーは、
大統領選挙には出られず、
フェラーズ准将は、大佐に降格になりました。
その結果を考えると、アメリカの世論
(少なくとも、その時のアメリカ政府)にとっては、
評判の良くないものであったことがわかります。
|