64(ロクヨン)

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64(ロクヨン)

 64(ロクヨン)を阿久比のユナイテッドシネマで見ました。
朔的には、☆は3つ半(70点)でお勧めです。
特に、ラストの意外性が良かったです。
ただ、前編後編の2部構成なのが難点と言えば、難点かな?

 昭和64年、天皇崩御により、
たった7日間したなかったこの年は、
新しい年号<平成>の華々しいデビューの陰で
忘れられた存在でした。
でも、その時に起こった
群馬県警管轄の少女誘拐殺害事件(通称64)は
未解決のままで、時効が目前に迫っていました。

 しかし被害者の家族、担当した刑事にとっては、
この<64>は忘れない事件で、必ず解決することが悲願でした。
その時は刑事として関わった三上義信は、
今年度の人事により、広報官としての第一歩を踏み出したばかりでした。

記者クラブとの確執や、
刑事部と警務部の対立などに神経をすり減らす日々を送っていましたが、
ある日、ロクヨンを模した誘拐事件が発生します。

 原作はベストセラー作家、
横山秀夫の警察小説<64(ロクヨン)>ですが、
1年ばかり前に、この分厚い原作は読んでいました。
でも、詳細や結末は完全に忘れてしまっていたので、
最後までわくわくドキドキして、楽しむことができました。
年を取って、物忘れが激しくなることもたまには良いことですね。

 映画を見る前は、広報官の板挟みの苦しさばかりを
覚えていたのですが、映画を見てもっと深いもの、
例えば、警察組織の闇とか、父と娘の確執とか、
報道の自由とプライバシーとかがあったことを思い出させてくれました。
そういうことを思い出させてくれた意味でも、
原作の内容をうまく描いていたわけで、秀作だと思います。

 今をときめく、俳優陣の総出演で、
それぞれ見事で、味のある演技を見せてくれましたが、
私は広報官の部下である、
綾野剛の演技が特に良かったと思います。

 <組織の正義と、個人の正義の違い>
これは、警察組織に限らず、教員組織でも、
いやどんな組織でも、必ず起きる問題です。
 個人の正義を優先すれば、
組織からは人事という形で左遷され、
たとえその部署にいられたとしても、仲間外れにされたり、
そこに居づらい雰囲気となるものです。

 でも、そうかと言って自分の心を偽って、
組織の正義を優先すれば、自分の心が納得できません。
どちらを選ぶか?まさにハムレットのような心境ですが、
どちらを選択するかは、その個人が決めるもので、
正解はないと思います。
人それぞれ、価値観も状況も違うのですから……。

 ただ、私も組織人だったので、その立場から言うと、
何でもかんでも正義(真実)を主張すれば良いとは思いません。
それによって、不利益をこうむる人がいるなら、
それを十分に考える必要があります。
人が二人以上いれば組織だと思いますので、
それは家庭でも同じことだと私は思います。

 今回の映画のテーマの一つである
報道の自由についても、私はそのように考えます。

 良識ある判断に任せたいのですが、その基準が人によって違ったり、
報道各社によって違うのであれば、匿名報道や個人のプライバシーも、
一社が破れば意味がなくなります。

 今回の映画でも、実名報道が大きなテーマとなっていました。
広報官は、警察の情報をマスコミに流す窓口であり、
フィルターの役目も担っています。
 マスコミとしては、完全な透明性を求めますが、
警察は組織として、匿名や隠しておきたいことも多々あるので、
その板挟みとなって広報官の三上は苦しみます。

 警察組織は大きく現場の刑事部と事務の警務部に分かれます。
この水と油のような二つの部署の確執も大きなテーマで、
何かにつけて牽制しあい、優位に立とうとしています。

 広報官は警務部に所属しているので、
事務屋として、マスコミに淡々と対応すればいいのに、
三上はそれができない熱血漢です。
就任当初は、組織の側に立っていましたが、
次第に、自分の正義を大切にし、
組織ではなく、自分の信念で動くようになっていきます。

 どうして彼がそうなって行ったかが、
この映画のテーマでもありますが、
その最大なものが、自分の娘との確執であったと思います。
<刑事の目>で、<刑事の考え>で厳しくしつけをしてくる父親に
娘は反発し引きこもり、やがて家出をし音信不通となります。

 三上は娘との関わりを深く反省します。
それは、64の誘拐事件で、
幼い娘をなくした父の抜け殻のような姿と、
娘への変わらぬ深い愛情を知ったことも大きなことでした。

 三上の家にかかって来た無言電話、それが娘からのものだと
信じて疑わない母親……。
この無言電話が大きな伏せんとなり、
徐々にその謎が解けていくことは爽快です。

 大きな犯罪や事故が起きると、
加害者でも被害者でも、心に大きな疵を残し、
それが何年も何年も、場合によったら一生続くことがあります。
私には幸い経験がありませんが、
その心労は想像を絶するものがあると思います。

 組織のミスを組織ぐるみで隠す隠蔽体質は、
どんな組織でも大なり小なりあるもので、
最近では三菱自動車の燃費不正問題がありました。

 そのミスが明るみに出るによって、
組織は世間の批判を浴び、信頼をなくします。

 また個人であれば、出世に影響し、
給料や退職金、再就職に関わってきます。
一人のミスが公となることで、上司を含め沢山の人が
その影響を被ることになるので、
どうしても組織としては隠したくなるわけです。
 

 

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