相田みつを

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 相田みつをの本をある人から紹介されて、図書館で借りてきました。司書の方に聞いたらすぐ3冊出してくれました。”にんげんだもの””雨の日には雨の中を、風の日には風の中を””生きていてよかった”です。さっそく、にんげんだものを読みました。その途中3回も涙ぐんでハンカチのお世話になりました。どうも、年を取ると涙もろくていけません。いろいろな言葉の中に自分の生き方みたいなものがだぶって、感極まったのでしょう。

 巻頭の言葉、<その時の出逢いが 人生を根底から 変えることがある よき出逢いを>にまず惹かれました。その本の中で、私の特に気に入った部分を書いておきます。

 つまづいたって 

 いいじゃないか 

 にんげんだもの

 

 うばい合えば足らぬ

 わけ合えばあまる

 うばいあえば憎しみ

 わけ合えば安らぎ

 

 あとじゃ

 できねんだよ

 なあ

 いまのことは

 いましかできぬ

 

 やれなかった

 やらなかった

 どっちかな

 

 彼は、お坊さんではないですが、在家で師について、仏教を修行した方です。その修行による心の動きを詩に読んでいます。彼の詩を読んでいると、「どんなに偉い人間でも、過ちや失敗をする。それは、人間だから当たり前だ。」そういっている気がします。だからこそ、この年になっても未熟で、至らない自分が救われるようで、自然に涙が出てくるのでしょう。

 完璧をめざして生きて行きなさい。でも、人間だから、途中で挫折したり、逃げ出したりすることもある。それは人間だから仕方がない、誰でもあることである。彼は、私見たいな弱い人間の味方をしてくれています。

 以前書いた、「トマトとメロン」の詩も彼のものです。この下に書いた、「七転八倒」と「うしろめたさ」は、「にんげんだもの」の中で私が最も心に響いた詩です。

◎ 七転八倒

 古い昔の中国の話です。大寧院可弘(だいねいいんかこう)禅師という人に、ある修行僧が聞きました。「この道さえ歩いていけば、絶対にまちがいのない、真実の道とはどういうものですか?」と。禅師が答えました。「七転八倒」(7回転んで8回倒れる)「七転び八起き」じゃありません。転びっぱなし、倒れっぱなし。つまり、失敗の連続。それが、真実の道だ、というんです。

 人間は、努力をしているかぎり、これでいい、これで満点、なんてことはありません。いつでも未完成、不完全です。ただここで、大事なことは、転も倒も、具体的に動かなければ現象だということです。常に具体的に動くことが前提。

◎ 「うしろめたさ」

  あのことだけは

  だれにもいえない

  このことだけは

  死んでもいえない

 人間はだれでも、ひとにいえないうしろめたさを持っているものです。人間は、なんて、他人の話じゃありません。自分のことです。

 だれにもいえないうしろめたさを、そっと抱えたまま、やがて浄瑠璃の鏡の前に立たされる。それが人間、それが私です。

 (浄瑠璃の鏡とは、閻魔様のところにある鏡です。人間がこの世で犯した罪業の数々をみんな写し出すというなんともおっかない鏡です。

 それから、銀座にある【相田みつを】美術館を見学してきました。私は、彼の詩が好きで本も持っています。本の中での作品は見ているのですが、実物は見たことがありません。だから、東京に行ったら、ぜひ行きたいと思っていました。土曜日ということもあって、多くの人でにぎわっていました。絵の展示と違って、作品を読みながらいろいろなことに考えを及ぼす人が多くて、なかなか作品の前から動かない人が多かったです。それは私もですが、改めて、自分の人生を振り返ってしまいました。

 年齢層が多様なのには驚きました。その中でも年輩の(5060くらい)ご婦人が多かった気がします。女性はさびしいんだなとその時感じました。寂しさを支えるものとして、相田みつをの詩を求めている。そんな分析をしたのですが、私の考え方は甘いでしょうか?それにしても、若いカップルが多かったのは驚きでした。デートの場所にここを選んだことも驚きですが、彼の詩を、二人は何を考えて読み、その後何を話し合うんでしょうか?興味があります。

 相田みつをの美術館は時間がなくてゆっくり見れませんでした。一つ一つの作品をじっくりと見て、自分の人生と照らし合わせていたかったです。最も時間もそうですが、お客さんが多すぎて、そんなことしていたら後ろからどつかれますね。(笑)平日に行くのがベストでしょう。

 彼の作品を見ると、ほっとさせられるのは、なぜなんでしょう?「そんなに頑張らなくてもいいよ」「人間だから失敗して当たり前」「生きていれば悪いことや嘘はついてもしかたがない」こんな言葉で、自分の至らない今までの人生を慰めてくれている気がします。

 相田みつをの詩は、自分の弱さを後ろから支えてくれているような、そんなつっかえ棒のような存在なんです。