エホバの証人
ある意味では、<天狗>になっていたんですね。自分の考えが人よりも崇高なものである。そんなうぬぼれをもって、そういうことを考えない人をバカにしていました。でも、今の自分がそうであることを考えると、普通の人はそんなことは考えない。非日常的な思考だったわけです。人間が生きるとは、日々の生活を懸命にこなして行くわけで、<神とか死>などを考えている暇がないものです。哲学者や学生だからできることです。 そんな話題で議論がしたくて、<エホバの証人>の勧誘に来る老人に、知識をひけらかしたり、<民青>の友達に議論をふっかけていました。でも、議論は虚しいですね。相手は議論に負けたからと言って、自分の考え方を曲げることはない。そんなことが、今ではわかるようになり、議論はしないようにしています。相手の考え方を変えさせるのは、本人が変えようと思う時だけです。激しい議論で負けたら、悔しさだけ残って、絶対に考え方は変えません。 |