不安神経症について

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 今日は、私の苦しかった時代の話をします。

 私は、今の仕事についた頃(今から30年近く前)に、不安神経症に悩まされました。医者に行くほどではなかったのですが、仕事に行くことが怖くてしかたなかったことがあります。私は、森田式(森田正馬)の本を読んでそれを克服しました。ひとつのことが気になると、徹底的にそのことばかりが気になりだす。これを「とらわれ」といいます。心がひとつの所に止まって動かないためです。心は、本来「ころころ」といって、常に動いていることが普通です。それが、何らかの原因(神経症)で動かなくなる。人間はいろいろなことを、次から次へと考えているが、決してひとつのことをずっと考えているわけではありません。電車の車窓の景色が次から次へと流れていくように、常に変化していくものです。

 不安神経症、強迫神経症には、いろいろなパターンがあります。具体的には、潔癖(清潔)恐怖症、電車恐怖症、対人恐怖症、赤面恐怖症、読書恐怖症等です。一時私は読書すると目線の先に自分の鼻が見えて、それが苦になって読書が出来なかったことがあります。 これらの症状は、すべて、人から自分がよく思われたいと、強く願うことから生じます。神経質で物事を真剣に考え、向上意欲が旺盛な人、常に自分の価値判断の基準を人に置いている人等が、神経症にかかりやすわけです。

 私は、自分はそれほど重要な人間ではないと考えることにしました。つまり、自分がいなくても学校が回っていったり、家庭が動くということがわかると、この症状から抜けられます。言葉は悪いですが、いいかげんになることです。もっとも、いいかげんといっても、神経症にかかるような人は、本来まじめすぎるのだから、それでも十分おつりがくるわけです。

 意識の固着(とらわれ)をなくするために、考え込む時間をなくしました。忙しくして、手当たり次第、何でもいいから目についた仕事をしていきました。面倒だからといって、後に延ばさず、次から次へと仕事をやっていく、それも精一杯やりました。それによって、仕事に集中し、考え込むことがなくなったのです。