茨木のり子

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 茨城のり子という詩人をご存じですか?彼女の詩は、自己を厳しく見つめ、妥協を許さない姿勢に満ちています。その考え方は私の共感するところです。そのため、彼女が気に入った私は、彼女の詩ばかり読むようになりました。

 私の特に好きな詩、3点を選んで書きます。

   「自分の感受性くらい」

 

   ぱさぱさに乾いてゆく心を

   ひとのせいにはするな

   みずから水やりを怠っておいて

 

   気難しくなってきたのを

   友人のせいにはするな

   しなやかさを失ったのはどちらなのか

 

   苛立つのを

   近親のせいにはするな

   なにもかも下手だったのはわたくし

 

   初心消えかかるのを

   暮しのせいにはするな

   そもそもが ひよわな志にすぎなかった

 

   駄目なことの一切を

   時代のせいにはするな

   わずかに光る尊厳の放棄

 

   自分の感受性くらい

   自分で守れ

   ばかものよ

 

 茨木のり子は、大正15年大阪市に生まれました。父の勤務の関係で京都・愛知と移り、愛知県立西尾高女を卒業(私と同じ愛知県なので親近感が湧きます)昭和17年上京して、帝国女子医学薬学専門学校を卒業後、詩人として活躍今日があります。

 詩風は平明率直な語り口で、戦後解放された日本の女性の夢と希望とを歌い、常に自省と鋭い現実批判を忘れないのが特徴です。

 

 「よりかからず」

 

 もはや

 できあいのしそうにはよりかかりたくない

 もはや

 できあいの宗教にはよりかかりたくない

 もはや

 できあいの学問にはよりかかりたくない

 もはや

 いかなる権威にもよりかかりたくはない

 長く生きて

 心底学んだのはそれぐらい

 自分の耳目

 自分の二本足のみで立っていて

 なに不都合のことやある

 

 よりかかるとすれば

 それは

 椅子の背もたれだけ

 

 『汲む』 茨木のり子

 

 大人になるというのは

 すれっからしになることだと

 思い込んでいた少女の頃

 立居振舞の美しい

 発音の正確な

 素敵な女のひとと会いました

 

 そのひとは私の背のびを見透かしたように

 なにげない話に言いました

 

 初々しさがたいせつなの

 人に対しても世の中に対しても

 人を人と思わなくなったとき

 堕落が始まるのね 堕ちてゆくのを

 隠そうとしても 隠せなくなった人を何人も見ました

 

 私はどきんとし

 そして深く悟りました

 

 大人になってもどぎまぎしたっていいんだな

 ぎこちない挨拶 醜く赤くなる

 失語症 なめらかでないしぐさ

 子供の悪態にさえ傷ついてしまう

 頼りない生牡蠣のような感受性

 それらを鍛える必要性は少しもなかったのだな

 年老いても咲きたての薔薇 柔らかく

 外に向かってひらかれるのこそ難しい

 あるゆる仕事 

 すべてのいい仕事の核には

 震える弱いアンテナが隠されている きっと……

 わたしもかつてのあの人と同じくらいの年になりました

 たちかえり

 今もときどきその意味を

 ひっそり汲むことがあるのです