孤独について

話題の目次へ

 


 『孤独』という言葉からは良いイメージは沸いてきません。しかし、私は孤独にはポジティブ(積極的)な孤独とネガティブ(消極的)な孤独があると思います。前者は、自分から好んで作り出す孤独でもあります。この時間を使って、人は読書なり、趣味なり、考え事をし、人間として成長していきます。そのため、この時間をうまく使えるかどうかは、大変重要であると思います。

 それに対して、後者は、自分の意志と反して、孤独の状態に置かれる事です。本当は家族と一緒に住みたいのに事情があって一人で暮らさなければならない老人や、家族と離れて、都会に出てきたが、友達がほしいという心と裏腹に、自分の心が開けないばかりに一人ぼっちである青年などです。これは、孤立という言葉に置き換えてもいいと思います。

 もちろん、孤立(ネガティブな孤独)はそのような状況の人にばかり起こるわけではなく、普段は孤立を感じない人も、現実世界と遮断され、誰からも理解されていないときや、自分の自尊心が傷つけられ、回りの人が皆自分のことを馬鹿にしているのではないかと思えたときは感じるものです。しかし、これは一時的なものであり、このような状況は積極的な方向に心を向けて、できるだけ早く抜け出すべきです。これが、長く続くと抜け出せなくなります。

 ポジティブな孤独は、知的人間の原点であり出発点であると思います。芸術家は常に孤独が必要であり、自分だけの世界を持っています。孤独はクリエィティブな人間には絶対に必要なものです。

 私は、人混みの中により多くの孤独を感じます。だから、通勤で混雑する駅や繁華街の中の雑踏が好きです。そこでは、自分を誰も知らないであろうという安心感のためか、自分を完全に消すことができます。だから何か考え事をしようとするときは、静かな喫茶店より、雑踏の中をひたすら歩くようにしています。

 本来人間は孤独であり、孤独こそ自然です。この前提から出発しなければならないとおもいます。孤独を有意義なものにするために、人は考える。”考えるゆえに我あり””人間は考える葦である”

 人は、心の中に常に自分を見つめている、もう一人の自分を持っています。人間が考えるときは、彼が話し相手です。積極的な考えには、ブレーキをかけ、消極的な考えには、もっとがんばれとアクセルをふかす。常に冷静に意見を述べ、正反合の弁証法ではないが、その機能を使って人間は、調和のとれた中庸の意見を実行できると思います。

 孤独は悪である。つまり友達がたくさんいる人間の方が優れているという間違った概念がはびこっている気がします。孤独の好きな人間は、暗いとかオタクという言葉で人間性を決めつけられる。そのため、電車で文庫本の小説を読んでいる生徒より、友達とわいわいくだらないおしゃべりをしている生徒の方が、好感をもたれたりする。このことが、子供達に敏感に反映し、友達がいない自分はだめな人間なんだ。だから何とか、友達をつくり、一緒にいよう。一人になることが怖いので、四六時中携帯電話を掛ける。そこには目的も自主性もなく、ただ、一緒にいるだけの集団があるわけです。

 本当に孤独(一人になること)とは悲しく淋しいものだろうか? それどころか、孤独を楽しむことができない人間に、本当の人間の価値が分かるのだろうか?相手を理解することができるのか?孤独とは自分の世界であり、自分の世界を確立し、それをお互いに認め、理解する中で本当の友情なり、人間関係が成り立つはずである。つまり、個の確立した人間同士の対等な関係がそこにあります。

 孤独(一人)になって自分と対話する。孤独を不安に感じる人は一人の楽しみ方を知らない人です。読書なりビデオなり考え事がうまくできない人だと思います。だから、常に誰かといないと不安であり、孤独に耐えられない。 

 仕事でその日たくさんの人と会ったり、話したりしたとき程、一人になりたいと思います。仕事もなく一人で家にいて、常に一人である時は、孤独はつらいものかもしれません。人とのつながりが実感できているという保証の上に、孤独の楽しみがある。そのためにも社会への参加が大切であるかも知れません。

 私は女性も専業主婦でなく可能であればパートでも働いた方がいいと思っています。それは、社会参加、人間関係の実感の保証を得るためです。老人も一人で家に引きこもることは同じ理由からだめだと思います。何らかの方法で社会との接点が必要です。それが、生きがいにも通じるわけです。

 世の中には、隠し事、秘密がないことが良い家族であるような錯覚があるけど、私は必ずしもそうは思いません。逆に、秘密があるからこそ、個としての人格が保て、個の集合である家族として、まとまりを維持し、日々の生活ができるのだと思うのです。

 家族の絆を保つには、孤独と秘密が必要であると思います。孤独とは一人になれる空間であり、一人で過ごせる時間です。秘密は、犯罪などの人道的に許せないものは別にして、家族だからこそ知らせたくないものがあると思います。よく、親子なら何でも話すとか、夫婦の間に隠し事はいけない。といわれるが、ほんとうにそうでしょうか?

 そのため、場合によったら知らないふりをするなどの、家族を思いやる気持ちも必要だと思います。人を傷つけるのは、最も親しい家族である場合が多い気がします。その言葉に遠慮や配慮がないからです。