悟りとは

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 悟って何でしょうか?どういう状態を言うんでしょうか?悟を開きたいと思いますか?私は昔、悟とは偉い坊さんが何日も何日を荒行をして、又は座禅を組んでようやく開けるものだと思っていました。今でも、そのために修行をされている方がたくさんいます。だから、普通の人間には悟りの境地を感じるのは、無理なんだとあきらめていたのですが、最近ちょっと違った見方をするようになったんです。

 ひょっとすると、悟りとはもっと日常的なことではないのか?そんな風に感じてきました。というのは、悟りとは心のコントロールのことではないかと気が付いたからです。よく「気の持ちよう」という言葉を使いますが、どんな不幸でもその人が不幸と感じなければ不幸ではありません。

 ある不幸な出来事が起こっても、それは幸せになるための踏み石だと考えることができれば、その人にとって、不幸ではなく幸福なことになるわけです。心を切り替えたり、考え方を変えてみる、これが心のコントロールです。消極的な気持ちを切り替えて積極的に、暗くなったら明るくなれと心に命じる。気持ちが変われば、人間は変わります。

 でも、心をコントロールするのは難しいですね。自分自身なのに言うことを聞いてくれません。だから修行をして自分を強くしなければ、悟れないのかな?人間が生きていくことは、それだけで辛いことです。病気、死、失恋、失業一杯不幸がやってきます。それに負けないように、平常心(心やすらかに)を保って生活するのが悟りなんですね。悲しいときは悲しみ、苦しいときは苦しみ、でもすぐ立ち直って日常生活を、たんたんと続ける。そんな、平凡な生活が送れる人が悟りを開いた人かも知れません。そんな人を人生の達人というのでしょう。そういう人間に私もなりたい。