死について

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 私は、この年になるまで自殺を考えたことがないんです。なぜかというと、死ぬことが怖いからです。神が人間を作ったとき、自分で死ぬ愚かさを戒めるために、死の恐怖を植え付けたと思っています。どんな死に方をしても痛い、その痛さは想像するだけでもぞっとするものです。さらに、死んでからどうなるかの不安、恐怖がそれに追い打ちをかける。私はこの2つの事から、自殺を考えることなく、生を全うしてきました。でも、それはそれほどの危機感に立たされない平凡な人生であった証拠でもありますが……。

 命との対極に死があります。死があるから、生を全うするし、充実させたいと思う。死のイメージは暗黒です。生まれる前も暗黒であり、死んだ後も暗黒です。この得体の知れない暗黒に身を置くこと、それも永遠に……。このことを考えると怖いですね。でも、生まれる前を私たちは知りません。つまり意識がないから何にも感じないわけです。だから死後も、意識がないから同じように怖くないはずだと、自分に言い聞かせています。これらの恐怖はすべて、人間の観念が考えた産物であるのでしょう。

 命の尊厳と少し話がそれるかも知れませんが、死の恐怖や生の喜びを語ったものが、ドストエフスキーの「白痴」の中にあります。それは、死刑を執行される受刑者の刑場までの心理描写です。死刑囚は、死ぬと分かっている刑場までの時間を無限のように考え、例えばあの角を曲がるまでは10分はあるとか、絞首刑の階段を上るには、まだ3分はあると……、最後まで希望をつなぐのだそうです。(原文を引用すればいいのですが、うまく表現できなくてすいません)また、死刑囚はとにかく死を怖がり、それを許されるなら、無期懲役となり、たとえ断崖絶壁で人が一人立っているだけの空間しかないところで一生暮らすとして、そのことを望むという話がでてきます。人間の死への恐怖と、生への渇望を強く感じる部分です。