高杉晋作と奇兵隊
開演 30分前に座席に着いたため、パンフレットにある、筋書きや物語の時代背景、脚本家の話などを入念に読んでいたから、難しい言葉も何とか理解できましたが、それがないと、役者のしゃべっていることが理解できません。例えば、<公武合体><割拠論><正義派と俗論党><破約攘夷><君側の奸><草莽崛起(そうもうくっき)>などです。あらすじは、長州藩の下級武士である高杉晋作は、身分こそ低いが、才能にあふれた青年で、松下村塾で吉田松陰に学んだ。長州藩は、馬関(今の下関)からの収益のために、 100万国にも匹敵する大国であった。その豊かな財力を使って、尊皇攘夷の代表として天皇の信頼が厚かった。しかし、攘夷の勅令に従って、馬関で外国の軍艦に不意打ちを食らわせたことから、情勢は一気に変わってしまった。それに腹を立てた4国連合(アメリカ、イギリス、フランス、オランダ)の攻撃を受け、惨めな敗退をきっする。さらに、京都でも佐幕派(薩摩や会津)が巻き返しをし、勅命により長州藩は国賊とされ京都より追放をされた。高杉晋作は外国の攻撃にもろくも破れた武士に変わり、身分に関係なく、やる気と志のあるものを募って、<奇兵隊>を創設した。士農工商の身分制度を根底から覆す、画期的な制度であった。彼の頭の中には、大統領が選挙で選ばれるアメリカがあった。四民平等の発想は、明治維新の思想の柱である。 国賊とされた長州藩も、いつしか俗論党(保守派)が政権を握り、高杉達の正義派を弾圧しだした。さらに、幕府は大軍を率いて長州討伐に乗り出したし、四国連合による攻撃も取りざたされていた。今、立ち上がらなければ長州藩の正義は死んでしまう。同士に決起を促すが、形勢不利と考えた彼らは逆に高杉に早まるなといさめる始末であった。 同士との決起をあきらめた高杉は、長州の正義が死ぬことは、日本の正義が死ぬことだと檄を飛ばし、奇兵隊を中心に<功山寺>で決起をする。その時の人数は 70名に足りない少数であった。でも、大軍でも烏合の衆が何の意味もないことを彼は知っていた。必死の少数精鋭こそ、彼の戦法だった。理路整然とした軍略と奇襲攻撃で、馬関の奉行所と軍艦を占領する。戦いは激しさを増すが、徐々に正義派の援軍が駆けつけ、ついに勝利をする。この戦いにより、長州藩は高杉らの正義派の支配となる。後に、長州は薩摩(薩長連合)と連合を組み、徳川幕府を倒します。その大きな試金石がこの功山寺の決起でした。 小さな劇場( 300人前後の収容数)で、さらに前の方で見られて、役者の顔も声も良く聞こえました。入場料が3000円ならお得だと思いました。お客さんは、250人程度入っていたから、75万円くらいの収入になるけど、劇団員10名程度と山口から来て、採算はとれるのでしょうか?良い演劇だけど、一般受けはしませんよね。堅くて難しくて、有名な役者が出ているわけでもない、経営は厳しいでしょうね。 |