野球部のこと
野球部ではキャプテンで4番で捕手でした。最後の夏の大会では、市内大会と東三河大会で優勝、愛知県大会では3位で、おまけに東三河大会では、打撃賞をもらいました。その時、自分が優勝旗を持って、豊橋球場のグランドを行進するナイン姿が新聞にのりました。一番自分の輝いていた時代です。 あの時、『運』を強く感じました。打撃賞を取ったときの打率が 14打数8安打で5割を越えるものでしたが、バッターボックスに入ると、必ずヒットになるような気がしました。事実、『しまった。ピッチャーゴロか』と思うと、高いバウンドでピッチャーの頭を超えてセンター前に転がるというふうに、自然にバットにボールが当たって、人のいないところへ勝手に飛んでいく、そんな感じでした。もちろん中学時代の野球部の練習は、朝早くからボールが見えなくなるまで練習をしました。特に夏は、水が飲めないので、それだけを楽しみに、炎天下の中で何時間も練習しました。だから、何回でも野球部を辞めたいと思っていましたが、結局、最後まで続けたのですが、高校に行ったら絶対やらないと、堅く決意をしていました。 その決意が揺らいだのは、甲子園の春の大会を見て、もう一度頑張ってみようという気になった時です。中学時代の大会が全て終わった時、何が原因かは覚えていませんが、大事な肩を痛めてしまいました。このことは誰にも言っていません。自分の中では時間が立てば直るような気もしていました。 中学と高校では、ボールが軟式から硬式に変わる(ボールが重くなる)ことを考えると、肩を痛めた自分が野球をするのは無理だとわかっていました。でも、半年間休んで間にひょっとして直っているかもしれない、またはボールに慣れれば肩も治っていくかもしれないという淡い期待をもって、高校の野球部に入りました。でも、肩の痛みは、直るどころかもっとひどくなって、ボールを遠くに思いっきり投げられません。次第にキャッチボールさえ苦痛になってきました。そんなわけで、あっという間に野球部を辞めてしまった、苦い思い出があります。甲子園を見るたびに、このことを思い出します。 |