釈尊の「中道」


 “中道”とは苦と楽のように相互に矛盾する2つの極端な立場から離れ、それを超越して実践することをいう。釈尊は当時一般的に行われていた苦行を6年間行った後、それが永遠の安らぎを与えるものではないと知った。苦行によっていたずらに身体を痛めつけても死んでしまっては安らぎを体験できないと考えた。そして瞑想のうちに悟りを開いた。

釈尊は苦行主義と快楽主義のいずれにも偏らない「不苦不楽の中道」、八正道(八つの正しい行い)とりわけ“正定”という「坐って心を統一し、縁起(普遍的法)」をみる修行を実践することによって悟りを得た。初期仏教ではこの中道が主として説かれている(不苦不楽の中道のほかに、常住と断滅を否定した「不常不断の中道」、有と無に対する「非有非無の中道」などがある)。これらは1つの極端に固執した考え方を厳しく咎める理論である。この際、2つの極端を共に否定することは必ず二重否定の構造を有し、仏教の理想である涅槃にあい通じるところがある。

 釈尊は欲を肯定も否定もしなかったといわれている。もし欲を否定すれば、禁欲主義となりそれはつきつめると生活が成り立たず、ただ身体を痛めつけるだけとなってしまう。一方で欲を肯定すればこれもまた社会が成り立たない(実際当時アジタを代表とする快楽グループというものが存在したようである)。とにかく極端に偏ることが悪い欲であるとするのである。

 とにかく釈尊は“バランスのとれた”実践倫理としての中道を説いたのである。


   「君たち、出家者は二つの極端に近づいてはいけない。その二つとは、

   一つはいろいろの欲を貪り、執着すること。その行いは下劣で卑賤で、愚者のやることだ。
   賢明な人のすることではない。
   二つは身体を痛めつけて苦行をすること。それはただ苦痛だけが残り、意味がない。
   賢明な人のすることではない。

   君たち、ブッダはその二つの極端を捨てて、中道を悟ることができた。」

                       (相応部経典巻五、『如来所説』)

仏教説話 トップに戻る

2004.10.19