彼岸会

 彼岸会とは春分の日と秋分の日を中心に前後三日間、合計七日間にわたる仏教行事である。その間、人々は先祖の墓参りをし、寺で行われている説教を聞いて自分の極楽往生を願う。彼岸という言葉は、「彼岸にいたる」という意味のサンスクリット語パーラミターから出ているもので、悩み多い迷いの世界を此岸(しがん)に、悩みのなくなった悟りの世界を彼岸に喩え、この期間に此岸から彼岸に至ることを目指す。

 この行事は日本でのみ行われているもので、文永六年(1269)に日本に来た中国の大休禅師正念は「日本で春秋二季に彼岸会を勤めるのは実に羨ましいことである」と感想を述べている。いつごろから日本で彼岸会が行われるようになったかはっきりしないが、平安時代初期、大同元年(806)に行われた法要が起源であるとする説がある。これは『日本後紀』に「崇道天皇のために、全国の国分寺の僧に春秋二回、七日の間、金剛般若経を読ませた」とあるのを根拠とする。

 彼岸会が日本にだけみられることから、日本にもともとあった太陽崇拝が仏教行事化されたとする説もある。彼岸の七日間「日の伴(ひのとも)」や「日迎え日送り」をする行事が残っている。朝は東の方のお宮やお寺、日中は南の方の、夕方は西の方のお寺やお宮に参るのである。これによって農耕の安全を祈るとともに、これを節日として祖先の霊をまつるところから墓参りや念仏に結びやすかったのであろうと考えられる。

 大阪の四天王寺では彼岸に西門に集まり、難波の海に沈む夕日を見て極楽浄土に生まれることを願う信仰がある。西門の額に聖徳太子の自筆と伝えられる「釈迦如来 転法輪処 当極楽東門中心」の文字があることから、海を隔てて四天王寺と西方の極楽浄土が向き合っている、つまり四天王寺の西門は極楽浄土の東門にあたる、というのである。春分と秋分の日に太陽は真東から出て真西に沈むので、その真西に沈む夕日は阿弥陀仏の後光であると見て来迎を拝みたいと望むのである。

2004. 9.28

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