円光寺の正門を入り、駐車場を通って、墓地の入り口右側に無縁供養塔があります。これは平成12年10月に、あるお檀家の方の寄進によって建立され、無縁仏を供養することを目的とし、現在いくつかの骨壷が収められています。毎月最初の日曜日にこの無縁仏を供養する集まりがあり、有志の方々によって手厚く供養されております。
辞書によれば、
<無縁仏(むえんぼとけ)>
弔う者のいない死者。日本の民間では死者仏を必ず供養してくれる遺族があるとみている。もしも子孫が絶えるなどして奉祀者がいないと、仏の怨念は知友や縁者や地域に祟る。そこで<三界万霊塔>を築いて祀り、慰撫につとめたり、盂蘭盆の際に無縁棚を作ったりする。
とあります。仏教では輪廻(生死を繰り返し、迷いの世界である六道をくりかえすこと)からの脱却、悟りを得るため修行することを説いており、とりわけ浄土宗においては、阿弥陀仏の衆生救済の本願を信じ、専ら阿弥陀仏の名を唱えて、西方極楽浄土に往生できる(極楽に往って解脱する修行を積むことが出来る)と考えられているわけですから、怨念が残された者に災いを及ぼす、というのは極めて非仏教的な、むしろ日本独特の習俗と思われます。無縁仏といえば、そもそもはその土地の先祖であり、開拓者が不幸にして、その子孫を残すことが出来ず、絶えてしまったものであります。円光寺にある無縁仏については、土地の先祖ではありませんが、明治の寺院設立以来、何らかの形で関わってこられた家の方々であり、放っておくことはできません。かといって、もう誰も管理することがない墓をそのままにしておけば、いずれ風化し朽ち果ててしまいます。
以前はこれらの墓石を集めて「無縁塚」を作っていました(これを「無縁積み」といいます)。それでも大きさ、形の異なる墓石を並んでとても整然としたものではありませんでした。先に述べたとおり、これらをまとめて新たに<無縁塔>を建立して頂いたのは、その寄進者におかれては、全くの見知らぬ人々に対する供養であり、大乗仏教の説く「利他行」の基本である「六波羅蜜」の1つである、<布施>に他ならないと思います。この行為に感謝し、これからも大切に維持していきたいと存じます。
無縁塔について少しご説明させて頂くと、まずその形としては、団形・半月形・三角形・円形・方形の5つから成り「五輪塔」と呼ばれます。またこれを仏身にあてはめ頂・面・胸・臍・膝とみなし観想する行法もあります。それぞれに書かれている梵字ですが(左)、上から?(キャ)・訶(カ)・羅(ラ)・?(バ)・阿(ア)と読みます。それぞれの意味は、空・風・火・水・地であり、万物の構成要素であります。これら5つを「五大」といい、特に真言密教においては「五輪」とよぶため、この梵字が記されている塔を「五輪塔」というのです。また「倶会一処」ですが、“阿弥陀経は極楽浄土へ生まれる願いを起すことをすすめ、それは浄土の仏・菩薩たちと倶に一つの処で出会うことができるからである、と説いている。一つの処とは浄土のことである。”という意味であります。
釈迦の入滅後、弟子達が遺骨を分骨し、塔を建てて供養したのが始まりといわれています。この塔をインドではストゥーパといい、それが日本語の「卒塔婆」となり、三重、五重の塔となりました。さらにこの形をまねて、板塔婆が作られるようになりました。円光寺の塔婆でも大きいものにはこの「五大」も文字が見られます。