あるみよ


 標準語で言えば「あれを見ろ」。
 これを品詞ごとに分解すると、<あれ・を・見ろ>だが、大分弁には連用修飾語としての格助詞「を」が見当たらない。
 実は、省略されているのではなく、隠されているのだ。
 「あるみよ」は、正確に表記すると、<あるぅみよ>
 この小さい「ぅ」、そう、これが「を」の役割を果たしている。

 「しよいねえ」で紹介した主格を表す格助詞「い」と同様、「う」も大分独特の格助詞なのだ。
 はじめは、連音、つまり「を」が前の言葉の終わりと結びつくことによって変化しているのかと思った。
 しかし、どうも違う。
 例えば、「これ」+「を」=「こるぅ」、あるいは「こりゅう」
     「それ」+「を」=「そるぅ」、あるいは「そりゅう」
     「あれ」+「を」=「あるぅ」、あるいは「ありゅう」
     「どれ」+「を」=「どるぅ」、あるいは「どりゅう」
     「なに」+「を」=「なぬぅ」、あるいは「なにゅう」

 「を」が前の語尾と結びつけば「こりょを」「そりょを」「ありょを」「どりょを」「なにょを」となりそうなものなのに、実際はそうなっていない。

 試しにほかを見てみよう。
     前の語尾が「いの段」の場合=「橋を渡る」「はしゅう・わたる」
     前の語尾が「うの段」の場合=「靴をはく」「くつぅ・はく」
     前の語尾が「えの段」の場合=「汗をかいた」「あしゅう・けえた」
                  「酒を飲んだ」「さきゅう・ぬぅだ」
     前の語尾が「おの段」の場合=「仕事をしろ」「しごつぅ・しよ」
                  「うそを言うな」「うすぅ・いうな」
     前の語尾が「ん」の場合でも=「本を読め」「ほんぬぅ・よめ」
 いずれをみても、「を」ではなく、「う」が使われていることが分かる。前の言葉の語尾が「ん」の場合でも「を」ではなく、「う」と結びついているからこそ「ぬ」になっているのだ。

 前の語尾が「あ」の段の場合は、ちょっと説明が必要である。
      「車を洗う」→「くるもぉ・あらう」
      
「鍬を洗う」→「くぅおぉ・あらう」
      「
皿を割る」→「さろぉ・わる」
      
「坂を登る」→「さこぉ・のぼる」
      
「傘をさす」→「かそぉ・さす」
      
「山を見ろ」→「やもぉ・みよ」
      
「鎌を研ぐ」→「かもぉ・とぐ」

 ここでの格助詞は「を」が使用されているようにみえる。しかし、音韻変化の特性として[a][u]が続くと[o]に変化する(例:「這う這うの体」が「ほうほうのてい」など)ことを考えると、「う」が使用されていると考えて良さそうだ。

 以上のことから、大分弁では連用修飾語としての格助詞は「う」が使われるということが言える。

 なお、主格を表す格助詞「い」についての説明と同様、韓国朝鮮語との類似を指摘できると思う。韓国朝鮮語には、日本語の連用修飾語としての格助詞「を」と同じ使われ方をする格助詞「ウr」と「ルr」がある(この「r」は口の中で舌を巻いて発音する子音であるため、便宜上こう表記した)。「ウr」と「ルr」ともに「う」の段であることは、大分弁の格助詞「う」と通じ合うように思われる。

(200534)
(2011
928日改訂)