奥豊後の言葉――概論
私は自ら運営する「豊語林」についてフェイスブック上で「大分弁サイト」などと称しているものの、その実態は大分県全域の方言を網羅しているものではない。定義がやや曖昧となることをお許しいただくとして、敢えて言うなら「『奥豊後地域』あるいは『大野川の上・中流域』の方言を集めたサイト」と表現するのが最も適切である。
さて、「九州の言葉」というと、博多弁に代表される「ばってん」や「〜くさ。」「〜ばい。」「〜たい。」「〜すっと?」といった言葉を想起される人が多いと思う。しかし、実際にはそう簡単にひとくくりにできるようなものではない。
九州の言葉は三種に大別できるようだ。
次は鹿児島弁だ。本当かどうか、江戸時代に公儀隠密の内偵を邪魔する目的でわざと複雑な抑揚や語彙を備えたという説がある。むしろ、元々かなり異質な言葉であったために、後からそんな理屈がついたという気がしないでもない。
九州東海岸に位置する宮崎の場合、南部は鹿児島方面の影響を強く受けつつ、北部に行くに従って大分の言葉の影響が出てくるように思われる。
宮崎で大分と共有する語彙として「よだきい」が挙げられる。ただ、独断を許してもらえるならば、宮崎北部でも大分とは抑揚がかなり異なっていると思われるし、「ばってん」や「〜ばい」なども使うと聞くので、むしろ九州西海岸の言葉に近いという印象を受けている。
さて、残る一つが我が大分の言葉である。正確に言うと大分県に加えて、福岡県の一部である北九州市及びその周辺をひとくくりにできるように思われる。つまり豊後と豊前を併せた一帯で、古代に「豊国(とよのくに)」と呼ばれた地域に相当する。
北九州の言葉は、大分で「〜するから」を「〜するき」あるいは「〜するけん」と表現するところを、「〜するけ」となるような、日本全体からすればむしろ類似点と言っても良いほどの差異があるほかは、語彙も抑揚も驚くほど大分の言葉に似ている。福岡県は筑紫国と豊前の国の一部で構成されているが、明らかに異なる二つの方言を抱えているのだ。
大分弁の抑揚は標準語に近いということは言える。高校を卒業して東京に出たが、言葉のうえで不自由な思いをしたことはあまりない。
ただ、標準語と比べて大分弁はアクセントを語頭に置くことが多いという点は、目立つ特徴だと言える。例えば、「熊」は標準語では平板に発音をするが大分では「クマ」と語頭にアクセントが付く。苺も「イチゴ」、軍手も「グンテ」、社長や課長、所(署)長、館(艦)長も、「シャチョウ」「カチョウ」「ショチョウ」「カンチョウ」と、いずれも語頭にアクセントがつく(「浣腸」は平板に発音して、館長や艦長と区別する)。
大分では、有る無しの「ない」を「ねえ」という。これは関東と同じで、「ない」=[nai]の[ai]が母音連続で[e]と変化し、さらに[nee]と長音化する現象だ。同じ九州でも肥前・肥後や筑前・筑後の肥筑方言、薩摩弁では「なか」である。
関西では母音連続の変化はせずに「ない」というが、標準語が「な」にアクセントがあるのに対して「い」にアクセントがある。
また、大分では「ない」ことを「あらせん」という場合もあるが、「ありはしない」が「ありゃせん」、さらに「あらせん」となったと思われる。この場合、「ねえ」より強い否定の意味合いがこもる。「金は、あらせん」というと「金なんか、あるはずがない」、「そげんこたぁ、あらせん」も単に「そんなことはない」よりも「そんなことは、あるわけがない」といった意味となる。
一方、「しない」は関東風に「しねえ」とはならず、関西と同様に「せん」という。古語の「せず」からの転だ。つまり、大分では動詞の否定形の場合に「ねえ」ではなく「ん」を使う。「動かない」は「動かねえ」ではなく「動かん」、「考えない」は「考えねえ」ではなく「考えん」、「来ない」は「こねえ」ではなく「こん」となるのである。
形容詞の否定形の場合は動詞とは異なり、「ねえ」を使う。形容詞は未然形と連用形で、古語の名残で語尾がウ音便の形になる。「美しくない」は関東では「美しくねえ」となるが、大分では「うつくしゅうねえ」、「汚くない」は「きさのうねえ」、「うまくない」は「うもうねえ」などとなる。
(2014年2月3日)