豊後國志

『豊後國志』巻之六―直入郡の一部


 『豊後国志』は、江戸時代に岡藩の医師で儒学者の唐橋君山(からはし・くんざん、世済)によって編纂された。第九代藩主、中川久持に地誌編纂を願い出て許された。豊後は小藩分立のため他藩の領内での調査を円滑に進めるため、藩主が幕府に口添えを依頼した。幕府からも調査への協力を指示する連絡が関係各藩に出された。このため、幕命による編纂であると誤解されたという。
 唐橋は寛政十二年[1800]に病没するが、田能村竹田(孝憲)らが享和三年[1803]に完成させ、 翌享和四年[1804]、第十代藩主、中川久貴が幕府に献納した。

 『豊後国志』はその後、昭和六年[1931]五月十五日、二豊文献刊行会(大分市東新町三二〇八番地、今村孝次)、朋文堂(東京都麹町区大手町一丁目六番地、飯島章男)により発行された。当時の定価は「五円」であった。

  編纂作業に当たったのは以下の人々である。
   唐橋  世済  纂輯
   伊藤    猛  校正
   田能村孝憲  校正
   古田  匡方  校正
   姥柳  公明  謄録
   後藤  教成  謄録
   淵野  世龍  図

 豊後国志の構成は次のようになっている。
   ・巻之一 総説
   ・巻之二 国東郡志
   ・巻之三 速見郡志
   ・巻之四 大分郡志
   ・巻之五 海部郡志
   ・巻之六 直入郡志
kokushi6.pdf へのリンク
   ・巻之七 玖珠郡志
   ・巻之八 日田郡志
   ・巻之九 大野郡志
kokushi9.pdf へのリンク

 岡藩の領土である「直入郡志」と「大野郡志」について読み下しをしてみた。
 浅学のため読み取れないところはそのままにした。文法的におかしいところもあると思うが、概略は伝わると思うので、お叱りを承知で添付してみた。

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