あさはあさぼし、よはよぼし(朝は朝星、夜は夜星)
 朝はまだ星の見えるころから、夜は星が見えるまで仕事をすること。昔の農家ではそれが当然のことだった。

新しい筵
(むしろ)に干した粟と親族に貸した銭はみなは取れん
 新品の筵は目が粗く、干した粟はその目に入り込んで全部はとれない。同じように親族に貸したお金は、しがらみもあって全部は回収できない。

いっぱひとからげ
 「いっぱ」は「一把」で、本来はひと抱えほどの薪や草を束ねたものの単位。
 ここでは、大したことのない者の集団にいう。ひとまとめにして担げるほど、大したことはないという意味。
 どいつもこいつも大しち役に立ちゃせん、いっぱひとからげじゃ(どいつもこいつも、さして役に立たない。みんなまとめて担げるほど軽い)


馬あ馬連れ、牛ゃ牛連れ
 馬と牛は歩く早さが違うことから、不釣り合いであることをいう。物事は無理がないことが必用だと戒めた言葉。

馬ん屁
 馬は自分の屁の音の大きさに驚いて暴れるといわれ、考えなしにしたことの反響が大きくなって収拾がつかなくなり自滅することをいう。

今晩の亥の子を祝わんもなあ、鬼を産め蛇を産め角ん生えた子を産め
 十月の亥の日に行われた「いのこまつり」では、子供たちがこういう口上を呼ばわりながら、一握りの藁を固く束ねたものを担いで家々を回り、庭の地面などをその藁で叩いた。その時の口上は「」(今夜の亥の子を祝わない者は、鬼を産め、蛇を産め、角の生えた子を産め)。どの家でもこう言ったものかは定かではない


上すらり、中ばったり、下の下そのまま
 
開けた障子や襖をきちんと、しかも上品に閉めるよう戒めた言葉。
 すらりと音もなく閉めるのが上品、ばったりと音を立てるのは褒められたものではないが、開けっぱなしは最も下品でいけないという意味。

雪隠(せっちん)育ち
 昔の農家の便所=雪隠には戸がなかったところから、転じて戸締まりがいい加減な人のこと。

谷川の、小堰の水を、堰き上げて、落としてみれば、みずかさもなし
 昔の子供に多く見られた鼻の下から口の周りにかけての吹き出物「みずかさ」を治すためのおまじないの文句。
 「みずかさ」と「水嵩」をかけてある。
 主に子供の母親がこれを三回唱えて吹き出物に息を吹きかける、あるいは剃刀の刃で吹き出物を撫でながら呪文を唱えると治ると言われた。
 また、マサキの葉一枚を三つぐらいに折ったもので患部を撫でながら呪文を口の中で三回唱え、終ると患部に口を近づけて小さく息を吹きかける。

提灯釣り鐘
 ものごとの釣り合いを言う言葉。提灯と釣り鐘を天秤棒で担ぐと釣り合いがとれないという意味。関西落語の人間国宝、桂米朝の創作落語「除夜の雪」にもこの言葉が出てきて「釣り合わぬは不縁の元」という意味で使われている。

 「小作百姓んせがれい庄屋ん娘と逢い引きゅうしよるが、ありゃあ提灯釣り鐘じゃあ」(小作の倅が庄屋の娘と逢い引きをしているが、あれは提灯と釣り鐘のように釣り合いが取れない)

面火(つらび)が燃ゆる
 
赤面するほど恥ずかしい。

とうめふう笑う
 「とうめ」は芋虫の一種で、独特の臭気を放つ。「ふ」はカメムシ。
 臭い「とうめ」がカメムシに「お前は臭いなあ」と言って笑うという意味。自分のことは棚に上げて人の欠点を言うこと。「目くそ鼻くそを笑う」と同義。

夏の夕焼け水口はずせ、秋の夕焼け鎌を研げ
 
夏に夕焼けがしたら翌日は大雨が降るから水田の排水口のふたを外せ、秋の夕焼けは天気になるから鎌を研いで刈干切りなどの準備をしろ。

長瀬ん夕晴れ
 「長瀬」は梅雨のことで、梅雨の時期には夕方に晴れることが多いことを言う。
 ながせんゆうばれちゅうちの、梅雨ん時期にゃひるに雨い降りよってん、夕方にゃはるることいおいいんじゃ」(ながせの夕晴れと言ってね、梅雨のころには昼に雨が降っていても夕方には晴れることが多いんだよ)

にごじゅう
 2×5=10で、誰でも知っている当然のこと。
 そげんこた、にごじゅうじゃ(そんなことは、当たり前のことだ)と使う。

喉を唄(うと)うち通る
 何とも言えない美味しさを形容する際に使う。「米の飯はおかずがいらん、喉を唄うち通る」(米飯は、おかずがいらないほどおいしい。喉を歌って通り過ぎるようだ)

鼻崩()えん涙じひとまくり
 「崩()ゆる」は崩れ落ちることで、古語の「崩()ゆ」。「鼻崩え」は鼻が極端に低いこと。
 鼻が極端に低いと両目の涙が抵抗もなく一緒になって、あっさりと流れ落ちるという少々大げさな表現。転じて、ものごとを極く簡単に済ませることを言う。

東山、こうかの下の、鉤蕨(かぎわらび)、昔の御恩を忘るるな
 マムシ除けのおまじない。「こうか」は「合歓(ねむ)」
 これを三回唱えるとマムシに噛まれないという。
 「マムシよ。お前が東山の合歓の木の下で昼寝をしていたときに、下から芽を出そうとした蕨が、まっすぐに芽を出せばお前の腹を突き破るしかなかったのに、お前があまりに気持ち良さそうに寝ているので遠慮して脇から地上に出てきた。そのお蔭で、お前は今生きていられるのだ。それを有難いと思えば、人を噛んだりするでないぞ」という意味らしい。

蛇は道理食い、蜂は無理食い
 
蛇は、人が尾を踏んだり攻撃したりすると噛むが、蜂は無闇に刺しに来る。

比丘尼んばり

 「比丘尼」は尼さん、「ばり」は古語で「尿」のこと。
 犬が片脚を上げて小便をすることを「かけばり」という。
 芭蕉の「蚤虱 馬の尿する 枕元」という句を解説した教科書は、「尿」を「しと」と読ませていたが、書物によっては「ばり」と読み仮名を振っている例もある。

 「なんかえ、こん茶は、びくにんばりんごとある」と使う。意味は「なんだ、このお茶は。尼さんの小便のように薄い」。つまり、粥ばかりを食べている尼さんの小便は薄いということで、「お茶が出がらしで薄い」という意味になる。

向こうを通る別嬪さんな、白粉(おしろい)付けて、紅付けて、足んとりこんぶしゃ、こけだらけ
 「とりこんぶし」は「踝(くるぶし)」。「こけ」は「垢(あか)」。「別嬪さんな」の「な」は、格助詞「は」が、「別嬪さん」の語尾「ん」と連音して変化したもの。
 奇麗にお化粧をして着飾っても、踝が垢だらけでは、折角の美人も台無しであるという意味。
 「歌」というほどではないが、節が付く。

もうしもうしこめんだんご
 
昔話のおしまいにつける慣用句、「もし、もし、米の団子」。語義不詳
 <
>「吉四六ばなし」の最後には「もうすこうす、米ん団子、あした食べたらひえん団子……」と記されている。

                                          (2005年3月4日)