京ニ筑紫ヘ坂東サ
これは、室町時代の口ずさみ、いわゆる諺で、「どこそこへ行く」と言う場合に使われる格助詞が地域によって違うことを示す。京都では「どこそこに」、筑紫=九州では「どこそこへ」、坂東=関東では「どこそこさ」になるということである。
ノートルダム清心女子大学の清水教子氏の「中世の実隆に関して思うこと」(ノートルダム清心女子大学ホームページ=リレーエッセイ第46回2007年8月1日)によると、この諺は、室町時代の公家、三条西実隆(1455-1537)が死の前年まで63年間にわたって書き記した『実隆公記』のうち、明応5(1496)年の項に記されている。一方、その記述から約110年後、ポルトガル人宣教師ジョアン・ロドリゲスがヨーロッパ人のために著した日本語文法書『日本大文典』(1604-1608)には「京ヘ筑紫ニ坂東サ」となっている。
『実隆公記』から『日本大文典』が書かれる間に逆転があったのか、またはどちらかの記載が誤っているのかは分からない。
大分弁には「さね」という言葉がある。「さね」は、大分弁で「〜の方へ」を意味する。これは「さま(様)」+「へ」が「さん」+「へ」、そして「さね」へと転じた可能性がある。この場合の「様」は敬称ではなく、古語の方向を指す接尾辞である。現代でも「横ざまに倒れる」などといった文章表現を時折見かけるし、「逆さま」という単語もある。
「さね」の成り立ちが上記のようであるとすれば、九州全体でどうかはともかくとして、少なくとも大分では『実隆公記』にあるように「へ」が用いられていたということになる。
しかし、ことはそれほど簡単ではない。「さね」と同じ意味合いで「さに」や「しに」という言葉もある。「さに」は「様」+「に」だろう。「しに」の「し」はやはり方角や方向を意味する言葉である。現在でも大分では「へ」ではなく「に」が一般的に使われており、それは奥豊後地方の方言でも確かめられる。
前の語尾が「い」の段で終わる地名の場合、例えば「朝地に行く」は「あさじぃ・行く」となる。
「う」の段=「津留へ行く」→「つりぃ・行く」
「え」の段=「三重へ行く」→「みいぃ・行く」
「お」の段=「六呂(ろくろ)へ行く」→「ろくりぃ・行く」
いずれも地名の語尾が「い」の段に変化してしまう。
語尾が「ん」の場合だけは「に」がそのまま使われる(「日本に来る」、「湯布院に行く」)。
「あ」の段で終わる地名の場合は少々説明を要する。
「大分へ行く」は「おいてぇ行く」、「竹田へ行く」は「たけてぇ行く」、「緒方へ行く」は「おがてぇ行く」となる。
ここでは「へ」が使われているようにみえるが、やはり「に」で説明が付く。前の言葉の終わりが母音の場合、次に来る格助詞「に=ni」の[n]が消えてしまって、残った「い=i」が前の語尾を変化させていると思われる。つまり、母音[a]と[i]が続くと[e]に変化してしまう音韻変化の特性から、この場合の格助詞は「い」である可能性の方が高いと思われる(例えば「ない(nai)」が「ねえ(nee)」、「したい(sitai)」が「してえ(sitee)」となる)。
以上のことから、奥豊後地方では「どこそこへ行く」という場合に使用する格助詞は、「さね」の「さん」+「へ」の場合を除いて、「に」から変化した「い」が使用されると言える。
ただ、現在普通に交わされる会話をみると、上記のような音韻変化を伴う表現をする人はほぼ中高年の人に限られていると言って良く、大半の人は「〜に行く」と言っている。
ついでながら、「さね」に似た言葉として「どり」がある。厳密な使い分けとなると自信がないが、「どこどりぃ行くんな」は「どこを通って行くのか」あるいは「どこを経由して行くのか」という意味のようである。「さね」が目的地をほぼ限定しているのに対して、「どり」はもっと大まかな方向を指すように思われる。これに類似した方言をどこでも聞いたことがなく、辞書でも見かけたことがないので、語源や使用地域は不明だ。
ちなみにほかにも「に」が「い」となる場合がある。例えば「邪魔になる」という場合の格助詞「に」も「い」を使うのである。大分ではこれを「じゃめぇ・なる」という。幾つか例を挙げてみよう。
「あ」の段=「馬鹿にする」→「ばけぇ・する」
「あなたにあげる」→「あんてぇ・あぐる」
「大人になる」→「おとねぇ・なる」
「い」の段=「私にください」→「うちぃ・くれなあ」
「牛にやる」→「うしぃ・やる」
「う」の段=「服に付く」→「ふきぃ・つく」
「正月になる」→「しょうがちぃ・なる」
「え」の段=「俺にくれ」→「おりぃ・くりい」
「嫁にやる」→「よみぃ・やる」
「捨てに行く」→「すちぃ・いく」
「お」の段=「のけものにする」→「のけもにぃ・する」
「風呂に入る」→「ふりぃ・いる」
「猫にやる」→「ねきぃ・やる」
いずれを見ても標準語では「に」が使われるが、奥豊後では先の「どこそこに」で見たのと同じ変化をみせる。やはり、「に=ni」から[n]が消えて「い=i」となり、前の語尾を変化させるのだ。
(2011年9月10日)
(2011年9月28日改訂)
(2011年12月17日再改定)