西暦 月日 時刻 災害 被害内容など 
文禄5 1596 閏7月12日  暮れごろ 大地震 御舩着沖の浜洪波上り、陥りて海となる。溺死する者十に七、八。舩奉行柴山勘兵衛重成は稀有にして死を免る。 
元和2 1616  7月(欠日)    大風雨  今津留舩倉に水着、舩破損多し。 
元和5  1619 3月17日 午の刻  岡大地震  城中所々破損。 (※筆者註 被害詳細の記載なし)
  5月8日   火災  竹田上町鉄砲鍛冶与右衛門宅より出火、町家過半且つ士族屋敷類焼。 
  8月10日   大風雨  滑瀬橋落ち、今津留堤切れ田畠損じ、潰家18軒萩原塩浜尽く損ず、舩は奉行取計を以て別状なし。今市茶屋も破損す。 
寛永12  1635 8月(欠日)   大風雨  作毛大に損じ民家破損多し。 
承応2  1653  (欠日)   大風雨   (※筆者註 被害記載なし)
明暦3  1657 正月18日  未の刻 江戸大火
(振袖火事)
江戸本郷より出火、大火に及ぶ。さらに19日午の刻小石川より出火、同時に麹町より出火、上屋敷類焼。 江戸城天守焼失。
2月9日、拝借金仰せ蒙らる。220貫目、来戌年より10ケ年上納。
寛文4  1664 9月26日    火災 玉来町出火 。(※筆者註 被害記載なし)
寛文6  1666 4月7日   火災  殿町吉田六左衛門正勝宅より出火、大火に及び竹田町焼失、御客屋も類焼。 (※筆者註 被害詳細記載なし)
 〃   江戸火災  江戸芝の浜屋敷類焼。 
寛文8  1668 2月1日   江戸火災  江戸牛込より出火、大火に及び、申の刻芝新橋上屋敷類焼、芝三田新馬場下屋敷へ立ち退き。 
2月4日   江戸火災  江戸四ツ谷塩町より出火、風烈しく芝浜屋敷類焼 。
寛文9  1669 8月11日   大風雨  城内外並郷中破損夥し。 
寛文11  1671 9月16日   火災 七里御蔵奉行田近七兵衛宅より出火、蔵且つ碧雲寺類焼。御霊屋本門鐘楼、台所門は残る。 
寛文13  1673 5月14日   大風雨  岡風雨洪水。
崩れ田畠1,970石2升7合。崩川成大小麦1,109石2升。風痛崩入開畠7町4反四歩。蔵風崩8軒。井手3,235間。家数1,097軒。水車13輛。堤1口。死人2人。
延宝2  1674 11月18日   火災  中川藤兵衛家来仲島孫左衛門宅出火、御城中たるに依って藤兵衛閉門。 
天和2  1682 11月28日   江戸火災  江戸川田窪竹村より出火、同時に上杉弾正弼綱憲御屋敷より出火、芝下屋敷類焼。
元禄5  1692 7月26日   火災  三佐屋敷焼失。 
元禄8  1695 2月8日  未の刻 江戸火災  江戸四谷伝馬町二丁目より出火、北風烈しく大火に及び七つ半時芝三田屋敷類焼、御書院御奥焼失、表御門東方御長屋残り、新屋敷の内にて光顕院様御住居残り、南側金森出雲守様御境長屋焼失、若殿様上屋敷へ立退き 。浜屋敷類焼。
 〃 2月11日  未の刻 火災  英雄寺隠居宅より出火、碧雲寺方丈類焼。 御霊屋は別状なし。(※筆者註 元禄9年の同じ日付で英雄寺火災及び碧雲寺類焼の記事があるが、誤記と思われる)
元禄15  1702 8月1日   風雨洪水  領内所々破損死傷あり。 (※筆者註 被害記載なし)
元禄16  1703 11月18日  午の刻 江戸火災  江戸 四ツ谷伊賀町より出火、芝下屋敷浜屋敷類焼。
宝永2  1705 閏4月1日   岡大地震  御城中外在中所々破損夥し。 
 〃 閏4月8日   火災  三佐浦百姓家より出火、町家に移り大火に及び焼死人等あり。軽役人並び水主の者家121軒、町家87軒、百姓家27軒、寺1ケ寺、女2人焼死、馬1疋焼死。 
宝永8  1711 1月4日  未の刻 江戸火災  江戸飯倉町より出火、浜屋敷類焼。 
正徳元  〃 8月14日   火災  三佐町屋より出火、家数75軒類焼。士屋敷5軒、小役人屋敷9軒、足軽屋敷1軒、水主の者34軒、町屋26軒。 
正徳3  1713 2月22日   火災  竹田町鍛冶屋清兵衛宅より出火、町中残らず御客屋も類焼。侍屋敷3軒、土蔵7ツ、町屋304軒、死人牛馬損無。 
享保2  1717 1月22日   江戸火災  江戸白山御殿脇より出火、北風烈しく大火に及び八丁堀御下屋敷類焼。 
 〃 12月28日   江戸火災  江戸牛込大工町より出火、愛宕下中屋敷類焼。 
享保6  1721 1月2日   江戸火災  江戸呉服橋御門外町屋より出火、八丁堀下屋敷の東長屋類焼。 
享保9 1724 3月21日   大阪火災  大阪栴檀木屋敷類焼、川御坐舩焼失す。 
享保16 1731 4月15日 未上刻  江戸火災  江戸麹町壱丁目より出火、芝上屋敷類焼、八丁堀下屋敷へ立退。 
享保17 1732 2月13日 寅中刻  江戸火災  江戸目黒屋敷御台所脇賄所より出火、表御殿向並長屋残らず焼失、御屋敷前民家3軒類焼、此節奥御殿は別状なし。去年5月以来の御用人記録焼失。 
同日、御差控御伺、20日御差控に及ばずの旨仰せ蒙らる。
8月9日   稲虫付  6月以来稲虫付此節に至り稲段々枯るるに付、届差出す。
9月15日、田畠虫付にて皆無同前(ママ)の御損毛に付、家中御扶持渡仰せ出さる。(九州一円稲虫にて損毛。公儀より銀穀貸付)
9月28日、西国筋稲虫付損毛に依って御銀穀貸渡7万石より9万9,000石迄、金子7,000両御拝借仰せ蒙らる、来る寅年より5年賦上納。 
宝暦5 1755 8月24日   大風雨   岡風雨洪水。田畠損毛高3万8,064石3斗。
宝暦6 1756 12月9日   火災  三佐浦水主の者宅より出火、家数50軒、舩倉15ケ所、関舩大小26焼失。 
明和2 1765 11月22日   火災  岡城御普請方より出火、近戸御門並に中川図書屋敷、中川外記屋敷、御賄所、中川備後屋敷、御城代屋敷、医師番所、御櫓2ケ所、御倉4ケ所焼失。 
明和6 1769 7月28日   風雨
大地震 
三階櫓崩、領内破損夥し。
11月9日に破損並損毛届差し出す。高5万570石8斗5升。
11月28日、損毛相増に付尚又御届差し出す。高6万1,478石7斗5升。 
明和8 1771 1月17日  午の刻 岡城火災  岡上(ママ)角内畑足軽屋敷より出火、風甚だ烈しく本丸、二ノ丸、三ノ丸並びに住居残らず、武器入れ置く蔵その他城内外、侍屋敷百姓家等焼失、申の下刻火鎮る。
鉄砲三千挺、矢三万本程を初め武器や甲冑、馬具、大馬印七張ほか旗指物など尽く焼失。
この火災により3月14日、願に依って金7,000両御拝借。上納10年賦。
安永3年12月7日に本丸普請成就。
天明4年11月20日、御廟所普請成就。
天明7年6月23日、三ノ丸隅櫓普請成就。
天明8年欠日、二ノ丸切手御門普請成就。
享和3年閏正月8日、本丸御門普請。
  火災  三宅山火入、凡長3里、横1焼く。 
2月24日   火災  宇目、山火入、25日未の刻火鎮る。凡竪39町、横28町焼く。 
9月晦日   損毛届  旱魃並に水損に付、損毛届差出す。高5万4,370石余。 
明和9 1772 9月14日   〃  夏以来雨繁に付、損毛届差出す。高4万9,987石5斗8升。
安永3 1774 11月6日   秋雨繁不時の冷気に付、損毛届差出す。高3万9,362石7斗5升。 
安永7 1778 1月晦日   火災  犬飼町浦在家より出火、町家残らず焼失。 
7月16日   岡大風雨  11月2日に損毛届差出す、高3万7,591石余。 
安永8 1779 6月26日   岡大風雨   (※筆者註 被害記載なし)
安永10 1781 3月6日   火災  城内中川覚左衛門広倫宅出火。類焼なし。 
天明元 1781 7月3日   岡大風雨  (※筆者註 被害記載なし) 
天明2 1782 7月17日   岡大風雨  (※筆者註 被害記載なし) 
8月20日   岡大風雨  西廓新御殿大書院(普請屋根で出来の処)転び其外城内外家中在町転家夥し。
7月17日、8月20日の損毛届、10月5日に差出す、高4万2,896石3斗5升。
天明3年2月12日、御願に依って金3,000両御拝借御上納10年賦仰せ蒙らる。
天明3 1783 7月23日   岡大風雨  (※筆者註 被害記載なし) 
天明5 1785 7月11日   岡大風雨  (※筆者註 被害記載なし) 
寛政元 1789 6月晦日   火災  城下山川吉田善作正業宅より出火、内町は残らず町近辺の家中屋敷数多焼失。侍屋敷143軒、寺2ケ所、町家554軒、土蔵104カ所。 
文化3年11月16日、寺町御客屋普請成就。
12月22日   火災  城下本町より出火、西風烈しく大火に及び、内町は残らず、御城内外家中屋敷谷々小路々々大半焼失。
外曲輪は門3カ所、番所5カ所、長屋3棟、役屋敷4ケ所、土蔵8棟、鎮守社2ケ所、馬見所1ケ所、侍屋敷3ケ所。
城外は茶屋1ケ所、役屋敷6ケ所、番所6ケ所、長屋3棟、厩1ケ所、侍屋敷117ケ所、徒士以下屋敷91ケ所、足軽組屋敷20ケ所、町家433軒など。焼死人16人(内男10人、女6人)、怪我人19人(内男15人、女4人)
本丸、二ノ丸、三ノ丸には別状なし。 
寛政3 1791 6月9日   岡大雨  9日より大雨、10日、12日洪水。所々破損溺死人あり。 
寛政6 1794 1月10日  昼過ぎ 江戸火災  江戸麹町より出火 、西北風烈しく上屋敷類焼。八丁堀下屋敷へ立退。
寛政11 1799 8月18日 夜  岡風雨洪水 城内外破損あり。 
11月24日   損毛届  夏の旱魃と洪水に付、損毛届差出す。高4万598石7斗余。
文化元 1704 8月29日   岡大風雨
洪水 
7月下旬より雨天勝ちにて8月25日夕より雨降り続き、同28日より雨強く同29日夜に入り大風雨亥の刻ころより暁までいよいよ強く洪水にて城内其外侍屋敷並びに在町所々破損。人馬損じ多し。
城内。門並櫓屋根所々破損、塀所々破損、侍屋敷門吹転び2ケ所。
城外。山崩れ落19ケ所、侍屋敷門吹転5ケ所、同長屋吹転3ケ所、足軽長屋吹転7軒、町屋所々破損、在中家吹転圧潰322軒など。落橋154ケ所、道洗崩340ケ所、井手崩1,362ケ所など。圧死男女14人(男5人、女9人)、溺死男6人、怪我男女8人(男3人、女5人)、圧死牛馬5疋(牛4疋、馬1疋) 
11月朔日、損毛届差出す。高3万1,396石7斗5升。
文化3 1806 3月4日   江戸火災  江戸芝牛町より出火、西南の風強く大火に及び上屋敷類焼、八丁堀下屋敷に立退。 
文化9 1812 12月16日   火災  犬飼町出火。番所1ケ所、小役人並舩手の者宅36軒、百姓家20軒、町家46軒、水車1ケ所、寺1ケ所。 
文化13 1816 8月23日   岡大風雨  城下並に郷中所々破損。
9月18日に損毛届。高3万8,473石。 
文化14 1817 7月2日   岡大風雨  (※筆者註 被害記載なし) 
文政2 1819 11月2日 亥の刻  江戸火災  江戸上屋敷御厩裏より出火、西北の風烈しく御殿並に御奥向焼失、八丁堀下屋敷へ立退。
自火に付御差控御伺の通仰せ蒙らる。十日御免。
文政4 1821 1月17日 酉の刻  江戸火災  江戸柴井町より出火、源助町新屋敷東長屋類焼。
文政5 1822 6月2日   大風雨洪水  (※筆者註 被害記載なし) 
6月7日   〃  城内並侍屋敷、郡町所々破損。 
10月21日   火災  三佐浦出火。 
文政6 1823 11月12日   損毛届  夏初より旱魃、6月下旬雨降り続き田畑虫害、7月2日大雨洪水に付損毛届差出す。高3万9,158石余。 
文政8 1825 11月7日   〃  夏初めより雨天勝ちにて田畑傷強く其の上8月中文風雨洪水に付損毛届差出す。高4万2,723石。 
文政11 1828 7月2日   岡暴風雨
洪水 
城内並所々破損。
9月19日損毛届差出す。高4万1,843石。 
天保3 1832 8月19日   岡暴風雨
洪水 
(※筆者註 被害記載なし) 
10月28日   損毛届  旱続き田畑傷強、尚又、8月19日の暴風雨洪水に付損毛届差出す。高3万8,210石7斗。 
天保4 1833 10月19日   〃  夏初より潤鮮なにて根付遅れ、土用中暑気薄く其の上8月中旬に至り雨天続き冷気相増し田畑実成よろしからずに付損毛届差出す。高3万9,426石。 
天保5 1834 2月10日    江戸火災 江戸大名小路より出火、追々近火に相成風筋も宜しからずに付御前様中屋敷へ立退。 
12月26日   火災  三佐海原百姓家より出火の処飛火にて町内大半焼失す。 
天保6 1835 閏 7月6日   岡大風雨
洪水 
所々破損。
10月6日、御届差出す。
城内。門並櫓塀屋根所々破損、侍屋敷塀並土蔵屋根所々破損。
城外。侍屋敷並土蔵所々破損。同吹転家1軒、同門吹転7ケ所、石垣潰崩5ケ所、足軽家吹転4軒、町家所々破損、在中家吹転398軒、同土蔵吹転13軒、同物置家吹転583軒、同馬屋吹転435軒、同流家24軒、寺院堂社吹転41軒、同門並塀屋根所々破損、落橋295ケ所、道洗崩1.131ケ所、井手堰崩723ケ所、岸潰崩2,606ケ所など。溺死男3人。
12月3日、損毛届差出す。高3万5,483石2斗。 
閏7月21日   〃 
天保7 1836 7月7日   岡大風雨
洪水 
7月6日夜半より翌7日終日夜に掛け風烈しく暴雨洪水8日に至っても暴雨。城内外侍屋敷並在町所々破損。
城内。門並櫓塀屋根所々破損。侍屋敷土蔵長屋物置塀所々破損。
城外。山崩落37ケ所、石垣崩落27ケ所、侍屋敷並土蔵長屋屋根壁所々破損、潰圧家1軒、同物置吹転3ケ所、寺院堂社塀壁屋根所々破損、足軽家潰圧2軒、町家所々破損、在中家吹転483軒、同土蔵吹転18軒、同物置吹転781軒、同厩吹転573軒、同堂社吹転58軒、同流家34軒、同落橋338ケ所、道洗崩2,346ケ所、井手堰崩1,615ケ所、川除石垣崩2,168ケ所、岸潰崩9,863ケ所など。圧死男女2人、怪我男7人、溺死男女3人(男1人、女2人)。
損毛高5万4,786石。 
天保9 1838 7月20日   岡暴雨
洪水 
夜より暴雨洪水、潰崩等多し。 
10月28日   損毛届  夏以来雨繁虫付其の後秋に至り暴雨洪水潰崩夥しく其の上冷気相進み損毛の届差出す。高5万1,109石。 
天保14 1843 2月13日  寅の刻 火災  城下町より出火、未の刻過火鎮まる。城内に別状なし。
焼失は、侍屋敷7ケ所、町口番所1ケ所、堂社2ケ所、徒士以下屋敷23ケ所、町家1,199軒、土蔵37棟、人馬怪我なし。 
嘉永3 1850 8月7日   岡大風雨  辰の刻より酉の刻過ぎまで大風雨洪水にて城内其外侍屋敷並在町処々破損。
城内。居所屋根壁所々破損、土蔵破損16軒、門潰8ケ所、同破損5ケ所、長屋潰5軒、同破損3軒、塀崩22弐ケ所、潰崩4ケ所、侍屋敷屋根壁塀等所々破損、同門破損6ケ所、同土蔵破損5軒、長屋潰1軒、同石垣崩落2ケ所、同潰崩4ケ所など。
城外。文武稽古所屋根壁所々破損家3軒、勝手方役所屋根壁等処々破損家29軒、同土蔵潰5軒、同土蔵倒木にて圧潰5軒、同土蔵破損48軒、同物置潰3軒、同物置破損3軒、門潰9ケ所、同囚人入置候囲潰1軒、同破損1軒、中間長屋潰1軒、同潰崩14ケ所、石垣崩落数ケ所、侍屋敷潰家47軒、同半潰家14軒、同潰圧家4軒、同屋根壁等所々破損家278軒、同門潰138ケ所、堂土蔵破損31軒、同物置潰76軒、同長屋潰2軒、同厩潰14軒、同塀崩57ケ所、同塀破損105ケ所、石垣崩落47ケ所、同岸潰崩79ケ所、同山崩落数拾ケ所、倒木2,203本、落橋1ケ所、寺院堂社潰25軒、同屋根壁等所々破損54軒、同鳥居転5ケ所、同門潰7ケ所、同物置潰9軒、同土蔵破損3軒、同塀破損45ケ所、同石垣崩落6ケ所、同孕石垣3ケ所、同岸潰崩18ケ所、同倒木189本、足軽家潰167軒、同屋根壁等処々破損家71軒、町家潰家6軒など。
潰圧死男女3人(男1人、女2人)、家潰圧死男女34人(男14人、女20人)、溺死男2人、家倒圧怪我人7人(男6人、女2人=※筆者註 内数の合計が合わない)、同斃牛馬6疋(牛5疋、馬1疋)など。
(※筆者註 損毛石高については「収納の上追而御届申上可く候」とあるが、その後に記載なし)

※『中川史料集』(北村清士校注 新人物往来社)を基にしました。


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