地名考

 地名にも「方言」と呼んで良いようなものが少なくない。これまで大分の方言について考える過程で気付いたものや、関連する本などを読みあさる中で見つけたものを挙げてみる。

犬(いん)
 犬を「いん」と読むのは純粋な訛りだろうと思う。単独では「いぬ」だが、それに続く言葉がある時には「いん」になる。「子犬」は「いんのこ(犬の子)」だ。大分県に多い苗字に佐藤と後藤があるが、その多いことを表現するのに俗に「犬(いん)の糞」と言い習わす。
 その「いん」が地名にも見える。豊後大野市緒方町には「犬塚」という地名があって「いんづか」という。正しくは「いぬづか」と読むところを、そう発音しているだけのことかと思ったが、『角川日本地名辞典44 大分県』(角川書店)には「上犬塚(緒方町)」があって、確かに「かみいんづか」と記載されている。そのほか、同市清川町には「犬鳴」(いんなき)、熊本県阿蘇市には「役犬原」(やくいんばる)がある。
 ただし、豊後大野市犬飼町は「いぬかい」である。

迫(さこ)

 広辞林には、「(多く関西・九州地方で)山あいの小さな谷」とある。豊後大野市清川町には宮迫(みやざこ)、同市緒方町には滞迫(たいざこ)、同市朝地町には板井迫(いたいざこ)などがあり、その他にも数多くみられる。

嶽(たき)
 『日本の地名』(谷川健一著、岩波新書)には、「中国地方から西ではタキの地名は断崖をさす。熊本県下の山村でも水とは関係なく岩が屹立した所をタキという。大分、宮崎、長崎県内ではダキと濁音で呼ぶこともある」と記されている。
 豊後大野市清川町宇田枝の御嶽神社が鎮座する「御嶽山(おんだけさん)」は険しい岩峰で、山上の社殿の裏にあるむき出しの岩塊は、古くから「仙ノ嶽(せんのたき)」と「万ノ嶽(まんのたき)」と呼ばれている。

玉来(たまらい)
 竹田市にある「玉来(たまらい)」という地名については、以前から疑問に思っていた。『地名の研究』(柳田国男著、角川文庫)は、狩猟にちなむ地名だと指摘している。それによると、『肥後国志』に「狩集(かりたまらい」という地名が記載されており、実際に阿蘇郡古城村大字手野字尾籠の小字にあるとしている。
 阿蘇は古来、狩猟が盛んな地方で、鎌倉幕府を開いた源頼朝が家臣に巻狩(まきがり)の方法を習得させるため阿蘇大宮司のもとに派遣したほどだ。同書は、この地名が元々は「狩溜らい」だと推測し、竹田の玉来も同じ火山の麓だから同様の意味である可能性を指摘している。

 それでも、まだ何か説明が足りない気がする。柳田説のとおりであるなら「かり・たまり」でも良さそうなのに「かり・たまらい」となるのはどうしてだろう。同書は「熊本県では、リをもって終わる連体格の動詞を、ライと昔風に延べていう風があると記憶する云々」と書いている。少々わかりにくい。
 『忘れられた日本人』(宮本常一、岩波文庫)には「田舎わたらいをするよりは都会に集まって来てそこの仕事をするようになった」という文章がある。この「わたらい」について、広辞苑には「渡らい」として「世を渡ること。渡世」とある。似た語形として「なおらい」があるが、これも動詞「直る」の名詞化したものかも知れない。「語らい」は「語り合い」が元かと思っていたが、広辞苑には「語らいぐさ」を「話の種。語りぐさ」とあり「語らい」と「語り」を同じ意味として扱っている。

津留(つる)
 
山あいの平地で川や水流のある場所の地名に多く使われる。「水流」と書いて「つる」と読ませることもある。単に「津留」だけでなく、宮津留、中津留、大津留など、津留の付く地名は多い。九重連山の内懐にある湿地「坊がつる」も、やはり中央を鳴子川が流れている。そうした地名にちなむとみられる苗字も少なくない。
 山梨県の「都留(つる)」も「津留」の一種かも知れない。
 『山の名前で読み解く日本史』(谷有二著 青春出版社)によると、韓国・朝鮮語では平野を「トゥル」と呼ぶ。関連性があるのかも知れない。なお、同書は、山梨県の都留に昔、百済人が大勢住んだとの伝承に触れている。

轟(とどろ)
 豊後大野市清川町左右知(そうち)に「轟」と書いて「とどろ」と読ませる字がある。このほか、同市千歳町に「轟(とどろ)の滝」、竹田市城原の字に「轟木」(とどろき)、佐伯市には「轟峠」(とどろき・とうげ)、宮崎県延岡市には「土々呂町」(ととろまち)などがある。
 『角川日本地名大辞典44 大分県』によると、清川町の「轟」は江戸時代から明治にかけて「轟村」で、古くは「土々呂」と書いたそうだ。江戸時代、上質の白銀、鉛、錫鉱を産出した「轟山」がある。
 「ととろ」「とどろ」「とどろき」は、いずれも渓谷など狭隘な地形に使用されていることが共通しているようだ。

鼻(はな)
 海に突き出した地形を「はな」と言い「鼻」の字をあてる。大分県豊後高田市や鹿児島県指宿市の「長崎鼻」、日出町の「大崎鼻」、津久見市の「楠屋鼻」などがある。地形図で確認すると、九州に限らず、複雑に入り組んだ海岸線を持つ地域には多くみられる。ざっと概観した印象では、西日本地方により多いように思う。
 顔の真ん中に突き出した「鼻」との形の類似から付いた名だと思われる。
 陸でも平野部に突き出した尾根の端あたりの地名に「鼻」が付く場合がある。豊後大野市緒方町には「岩鼻」という地名があることを、同町の住人・みっこさから指摘を受けた。また九重連山の主峰・久住山の西に大きくせり出した台地を「扇ケ鼻」と呼ぶ。

 韓国・朝鮮語で「ハナ」は、日本語の「ひとつ」の意味だ。つまり、数詞の最初である。日本語にも似た言葉がある。「花」は枝や茎の先端に咲くことから「はな」と呼んだと考えられる。また、「最初から」の意味で使う「端(はな)から」、「最初」の意味の「初っぱな」 などがある。大分では「いきなり」「突然に」の意味で「はなち」という。宮崎の焼酎醸造元では醸造過程で最初に出て来る焼酎を「はなたれ」と呼ぶそうだ。

原(はる、ばる)
 見晴らしの良い開けた土地や盆地などの地名に多く見られる。大分に限らず九州一帯で使う。苗字の場合に「はる」「ばる」を使うものは多くはないが、「東国原(ひがしこくばる)」のような例がある。
 韓国・朝鮮語で平野を意味する「ボル」との関連性はないだろうか。
 石原(いしばる、豊後大野市)、小原(おはる、同)、城原(きばる、竹田市)、拝田原(はいたばる、同)、長者原(ちょうじゃばる、九重町)、新田原(にうたばる、宮崎県)、前原(まえばる、福岡県)、田原坂(たばるざか、熊本県)など、九州にはそこら中に「〜はる」「〜ばる」がある。
 固有名詞として以外に一般名称としても、「向こうん原(はる)におったで」(向こうの平地にいたよ)などと使われる。

牟礼(むれ)
 牟礼のほかに「無礼」「群」の表記もある。山や小高い場所をさすようだ。『山の名前で読み解く日本史』は、牟礼の付く名の山が大分県に集中すると指摘している。確かに大分県内には熊牟礼山、猪牟礼山、角牟礼山、栂牟礼山、花牟礼山などの山名がある。奥豊後地域ではこのほか、大無礼(おむれ)、中津牟礼(なかつむれ)など、字(あざ)の名前にも多数みられる。
 『山の名前で読み解く日本史』の谷有二氏は、朝鮮半島で山を「ムレ」と呼ぶこととの関連を指摘している。

六呂(ろくろ)
 全国に見られる地名らしいので、厳密には方言地名と呼ぶことはできないかも知れない。元は「轆轤(ろくろ)」であり、盆や椀を作る木地師が木を丸く削る際に使用する道具のことだ。木地師は全国を回りながら盆や椀を作って売って歩いた。その仕事場所となった所に「ろくろ」の名が付いたといわれる(『日本の地名』)。
 豊後大野市緒方町にある「六呂(ろくろ)」にもそうした由来があるのかも知れない。そのほか三重県四日市市六呂見(ろくろみ)。秋田県由利本荘市岩城六呂田、島根県安来市伯太町草野六呂坂などがある。




※方言ではないが、私の出身地である豊後大野市清川町六種は「むくさ」と読む。明治八年に丸小野、石原、泉園、蔵内、小原、宮津留の六カ村が合併して「六種村」ができた。六つ(種類)の村を合わせ、種を「くさ」としたことによる。「種」を「くさ」と読むのは古くからで、春や秋の「七草(ななくさ)」も古くは「七種」と書き、「仕草」や「言い草」も「仕種」「言い種」と書いた。名古屋市には「千種(ちくさ)」がある。

※豊後大野市を構成する旧七町村のうち、犬飼、大野、緒方、三重の各町は古くからの地名である。「朝地」は中世の大野荘志賀村の朝倉名(あさくら・みょう)と近地名(ちかち・みょう)の一字を取ったといわれる。一般には「あさじ」と発音されているが、高齢者は「あさち」と発音している。清川村は昭和三十年、合川、牧口、白山の三村が合併して奥嶽川や白山川の清流にちなんで新しく考案された。
 千歳(ちとせ)村は昭和十六年、井田村と柴原村が合併して成立した。当時の県知事、灘尾弘吉が母の名にちなんで命名したという。
 竹田市の大字「会々(あいあい)」は明治八年、直入郡の七里村、下木村、上鹿口村、鹿口村、平村、千引村が合併して出来た村で、適当な名前がなかったために村を合わせる意味でつけられた。
                                              2014220日)



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