人は旅の中でたくさんの人と出会い、やがて旅の仲間が増えていきます。旅の仲間として最も理想的な人は、誠実で好奇心が強く、そして何よりも自己実現している人です。自己実現していて、はっきり主張する人と一緒にいると、自分だって自己主張していいんだと思えてきます。自己実現している人と一緒にいると、自分が解放されていくのです。逆に神経症的な人と一緒にいると、相手は自分にああしろ、こうしろと要求してきても、自分は相手に要求してはいけないと感じるようになります。気が付くと、そこにはひたすら相手に奉仕するだけの自分がいます。それは小さい子供の頃から近くに一方的な献身を要求する人がいたからです。そうして育っていくと、自分は何も要求してはいけないと感じるようになり、何かを要求すれば嫌われると思うようになります。それは、意図的に子供の頃にそう思うように仕向けられ、いつの間にか搾取され利用されるだけの人間にさせられていたからです。日本にはこのような人が多いのではないでしょうか。これは日本の社会の中に一部の人間だけが搾取するような風習があるからです。多くの人が仕事で残業代が出なくても何をされても文句を言わない人間になるように教育されているのです。人から搾取することしか考えない神経症的な人たちが実権を握る社会にいれば、当然、あなた自身も神経症的な人間になってしまいます。しかし、自己実現している人は、自分の要求もはっきりしていますが、相手の要求にも気が付くのです。自分の要求もしっかりするが、相手の要求もかなえてあげようという思いやりがあります。このような人と一緒にいると、無意識のうちに自然と、自分だってはっきり要求していいんだという気持ちになってきます。搾取することしか考えない人間に何かを要求すれば嫌われるだけですが、自己実現している人間は何かを要求されても、そのことであなたを嫌うことはありません。日本の社会では多くの人が奴隷のように尽くすことを学習させられ、どんなに努力しても言いがかりしか付けられず、そして無気力になり利用されて一生を終えます。自己実現している人は正当な要求をされれば、それをかなえようと努力してくれます。そして、いつもすっきりした気持ちでいることが出来ます。神経症的で支配的な社会にいると、いつの間にかそれが心の習慣になります。不当な要求であっても、それを受け入れて行動していると、やがてその不当な要求が正当に思えてきます。そして、不当な要求を拒否すること自体が間違っていると感じるようになります。相手の不当な要求に屈することで、人は自分自身を弱く感じるようになり、無意識の中で怒りや憎しみが蓄積されていくのです。さらに、その奴隷的な心理状態に搾取する人間が群がり、社会全体を神経症的にしていきます。ヨーロッパでは一人一人が常識を考え個人を尊重しますが、日本では搾取する人間が優先されるため、神経症的な人が増えていきます。そして、同じような条件で、いつも同じ行動を繰り返し、搾取する人間の下で家畜のようになっていきます。自己実現している仲間が出来たとき、はじめてそれまでの周囲の環境がいかに歪んでいたかが分かります。あなたは奴隷的な奉仕によって、他人の愛情を求めてはなりません。そして自分の願いや夢をまともに聞いてもらったとき、初めて自分の中に力強い心を感じ取ることが出来るのです。自分が自分を頼りにして生きていけるのが本当の正しい社会であり、その中で自我や常識が確立されていくのです。ヨーロッパの旅、それは自分の心の旅なのかもしれません。そして心の成長に必要なものは、自己実現した人によってしかもたらされません。では、自己実現している人とはどのような人なのでしょうか。自己実現している人は、自分ひとりでいる時間を楽しんでいます。一人でいる時間が充実しているか、充実していないかというのがポントなのです。一人でいる時間を楽しめない人は、相手に干渉して来ます。一人で充実した時を楽しめる人は、相手の自由を許すことが出来ます。自分の自由を守ろうとしますが、同時に相手の自由も大切にするのです。一人でいる時を楽しめない人間は、二人でいる時でも相手に束縛感を与えるのです。しかし、一人でいる時を楽しんでいても、親密な友達のいない人は、やはり神経症型の人間です。本人は楽しんでいるつもりですが、それは単に孤独に逃避しているだけなのです。自己実現型の人は、一人でいるときも、友人といるときも充実しています。そして、自分の願いを素直に表現します。自分の願いに素直に生きてきた人は、他人の願いにも寛大なのです。もし、自分の願いと相手の願いに違いがあれば、妥協をする柔軟性があります。自己実現している人とは素直な人なのです。自己実現している人は、あなたに弱点があってもいらだつことはなく、弱点のあるあなたで満足します。それはあなたの長所を忘れないからです。搾取する人間に苦しめられてきた人には、なぜ弱点のある自分に相手が満足し、引き続き好意をもってくれるのかが理解できません。自己実現している人は、あなたが不安におびえる弱い人間であっても、それを責めることはないし、個人として尊重し好意を示してくれます。そして、あなたがいつの日か強くなるのを待ってくれます。ただし、自己実現している人は、あなたを喜ばせるための嘘は絶対につきません。これは、他人に依存心の強い人には辛く思えるはずです。搾取する人間は、あなたに言いがかりをつけますが、同時にあなたを喜ばすために心にもない嘘をつきます。他人に褒められることがうれしい人は、この嘘に喜んでしまいます。あたなが一番素敵で素晴らしい、などと心にもないことを平気で言うのが神経症的で搾取するタイプの人間です。自己実現している人間は、本当にそう思わなければ、一番素敵などと言わないのです。ところが依存心の強い幼稚な人は、その場だけの口先の言葉をまともに喜んでしまいます。自己実現している人は他人から褒められてもそれほど感激しません。むしろ、依存心の強い人間が褒められて喜んでいるのが理解できないくらいです。自己実現している人は、あなたを励まし、あなたが優れた人になるように協力します。そして理想を求めながらも、同時に欠点や短所を受け入れてくれます。自己実現している人は、励ますと同時に気力をなくしたあなたを受け入れるのです。これが、神経症的で搾取する人間との違いです。神経症的な人間が、あなたに強くなれと言う場合は、あなたの弱さを否定しているのです。しかし、自己実現している人は矛盾したものを心の中で統合し、受け入れます。理想的なものを良しとしながらも、理想的でないあなたを受け入れるのです。人間が不安になるのは、自分の価値が失われそうになる時ですが、自己実現している人は何が価値であるのか自分の考えや信念を持っています。このような人と一緒にいると、不安になることがないのです。逆に搾取する人間がいる社会では不安しか生まれてきません。自己実現している人は他人に取り入るために特別なことはしません。自分を犠牲にして他人によく思われようなどと考えないのです。そして自然な気持ちに従って相手に何かをしてあげます。その結果、相手に良い印象を与えますが、決して気に入られるためにそうしている訳ではないのです。自己実現している人は、相手から尽くされることを決して望まず、自分を犠牲にして相手に尽くすことを全く評価しません。それよりも、相手が自分自身を大切にすることを望んでいます。相手に自己犠牲的に尽くすのは、自分の中の欠点を隠そうとしているからです。自分の弱点をカバーしようという気持ちが、無意識のうちに相手への過剰なサービスとなり、自分の要求を控えることにもつながっていきます。自己実現している人は、自分の弱点が自分の価値を脅かしているようには感じていません。自分の弱点をカバーするために特別に相手にとりいるようなことをしません。素晴らしい人間関係が作れないとしたら、それは見捨てられる不安があるからです。そして、この不安から人間は自分を裏切ってしまいます。自分を裏切った人には、素晴らしい人間関係を作ることは不可能です。しかし、世の中には入社して3年くらいで社員が会社を辞めるような、社員を使い捨ての材料のように扱う会社も多くあります。そのような会社は例え一流などと言われていても表面的なものだけで、内部には信頼関係や常識などなく、搾取する人間が派閥を作り、真面目な社員には不安しかないものです。例え信頼のない環境であっても、自分に嘘をついたら、人は破滅します。自分に自信を失えば、他人に依存するようになり、失敗を恐れるようになります。そして自分が何を望んでいるのか分からなくなり、ただ利用されるだけの人間になるだけです。そこにはもう他人への思いやりなど存在しません。そして人間関係が作れず破滅していきます。見捨てられる不安や、認められない恐怖から、人は自分に嘘をつき、自分に正直になれず、自分を偽り、自分を裏切ります。しかし、認められる人とは、自分に正直に生きた人です。自分に正直に生きている人は素晴らしい人に出会えますが、自分に嘘をつく人は搾取する人間がよってくるだけです。依存心が強く安全を求めて、自分が何を望んでいるか嘘をついている人は、自分の心が見えません。自分の心が見えない人は、相手の心も見えないのです。他人に特別な行為をして好意を得て、その好意によって自分の立場を保とうとする人は、見捨てられることが怖いから、搾取する人間の自分勝手な意思に従い、そのため不快感が残ります。心の弱点を隠している人は、やがて心が病み、心の中にいろいろな不安や敵意を抑圧して不快感に悩まされます。そして、この不快感のはけ口を求めて、神経症的な人間になり、自分に嘘をついて他人に利用されている人を神経症的にしていきます。搾取する人間に利用されている人は、愛情に飢えているという弱みがあります。他人の関心を引きたい、他人の好意が欲しい、他人に認めてもらいたい、そんな気持ちが強いと、神経症的な人間がよってくるのです。自分の感情を押し殺して他人の愛情を願う人は、この奉仕を義務と考えるようになります。そして搾取する人間はそれを利用します。幼い頃から感情を殺して他人への献身を強要されて育った人は、他人が自分にするように、自分が他人にできません。そのような人は真の愛情に飢えているがゆえに、ひたすら奉仕して他人の愛情を求めるのです。幼い頃に愛されない環境にあった人は孤独です。その幼い日の孤独の苦しみをやわらげようとして、他人の愛を激しく求めます。そして、それを得るために本当の自分を偽るのです。しかし、この心の苦しみをやわらげる為に、他人に愛を求めるのは間違いです。心の苦しみの原因は、本当の自分を忘れてしまったことです。本当の自分を忘れてしまったから、苦しいのです。幼い頃、本来のあなたを大切にしない人がいたはずです。それが原因で、自分がどうやって自分を大切にしていいか分からなくなってしまったのです。苦しみから逃れるためには、本当の自分になるしかありません。その為には、周りの人間に特別なことをして喜ばそうという感情を捨てることです。他人が自分のことをどう思っているかが重要である限り、いつまでたっても搾取する人間に言いがかりをつけられ利用されるだけなのです。大切にされなかった人は、他人に操作されやすく、搾取する人間にとって扱いやすい人間なのです。他人に操作されるのは、嫌われることが怖いからです。相手はあなたを恐れていないが、あなたは相手を恐れています。それは、すでに幼い日からはじまっていて、同じことが今までずっと続いているのです。おだてられるのも、脅かされるのも、搾取されるのも、みんな同じです。まず、このことをはっきりと意識する必要があります。搾取する人間はあなたを支配しようとし、支配できなければあなたを責めたはずです。そして、そんな人間に対して、よく思ってもらうために自分を偽り、自分を変えたはずです。あなたは搾取する人間を助けましたが、相手はあなたを助けたことはないはずです。相手はあなたが自分と同じ権利を持った人間とは思ってないはずです。しかし、それはあなた自身も自分を同じ権利のある人間だと思ってなかったのではないでしょうか。だからこそ、搾取する人間の自分勝手を受け入れてきたのではないでしょうか。そして搾取する人間が話し合うと言うときは、あなたは奴隷の立場で、相手は支配者気取りだったはずです。幼い頃に利用され搾取された人間は、大人になっても利用され続け、幸せになることが出来ません。搾取するような人間から逃れるためには、まず、邪悪な欺瞞を見抜くことです。愛情の仮面の下の憎悪と、無欲の仮面の下の強欲を見抜くことです。そして、見抜いたときには関係を断ち切り、嫌なことに対しては嫌だとはっきり言うことです。よく、イエスという人は肯定的で、ノーと言う人は否定的な人間だと教え込む人がいますが、ノーと言えない人は最後には無気力になります。イエスしか言えない人は、搾取する人間に利用されやすいように洗脳された人間でしかないのです。そのような人は、会社で言いがかりをつけられ残業代が出なくても、使い捨てられるまで利用され続けるでしょう。重要なのは、大切にされないのに大切にされていると思ったり、愛されていないのに愛されていると思い込んだりしないことです。ヨーロッパでは個人を尊重し、一人一人が常識を考える習慣がありますが、日本の社会では半数以上の人が力関係しか意識せず、一部の搾取する人間が派閥を作ったり、勝ち組や負け組などと言って、やりたい放題やっています。どんなに努力しても言いがかりしかつけられない人もいれば、学校を卒業した後フィリピンあたりで遊びまわってから一流企業に苦労も無く就職するような人間もいるのです。そのような社会では神経症的な人間が増える一方で、自己実現している人と出会うことなどほとんどありません。搾取されるだけの関係を断ち切るためにはヨーロッパ旅行でもして、自己実現している人たちにたくさん出会うことです。自然の豊かな美しい街並みを旅して、やさしい人たちに接することで、失われた本当の自分にもう一度会えるのかもしれません。