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リヨン

1309年3月、ヨーロッパで大変な事件が起こった。教皇クレメンス5世が教皇庁をアヴィニョンに移すことを決断したのである。教皇を取られたイタリア人は、これをアヴィニョン捕囚と呼んだ。それ以来、アヴィニョンでは7人のフランス人教皇が即位した。3代目教皇となったベネディクト12世はシトー派の出身で、1342年に新しい宮殿を完成させたが、それは教皇の人柄がよく出ていて、堅固で質素な祈りの場となった。しかし、次の教皇となったクレメンス6世は貴族出身で、贅沢の限りを尽くしたという。ローヌ川に突き出したサン・ベネゼ橋は、アヴィニョンのシンボルで、フランス民謡のアヴィニョンの橋の上での歌詞でも有名。アヴィニョンの歴史地区は、1995年、世界遺産に登録された。