ヨーロッパ海外旅行
TOPページへ

ヨーロッパ圏の神話はすべてシュメール神話に由来していると言う説があります。「シュメール」という用語はアッカド人により用いられた異称で、アッカドやその北東のスバル人(Subarians)に知られていました。シュメール人自身は自らを「黒い頭の人々」(saa-gi-ga)と呼び、その土地を 「キエンギ」Ki-en-gi 「君主たちの地」と呼んでいました。約7〜8千年前、地球の温暖化により、地球上の氷河が溶け、シュメール人はアッシリアに難を逃れますが、そこを起点にアーリア人の南下により東洋宗教(拝火教・仏教・儒教・道教)が、セム族の移動によりギリシャ文明、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教が生まれたと言われています。日本の「神道」はゾロアスターが中央アジアをシベリアからローマまで駆け抜けていた騎馬民族スキタイ人により新羅経由または直接列島に伝えられたと言われています。シュメール人とアッカド人(セム系)は異民族ですが、文化を共有し、互いに同じ文明人として共存し、やがて惑星には神がいると考えるようになりました。ここから一週間の考えが生まれたと言われます。当時の中近東には、いろんな異民族もいて、その中にはアッカド人に近いセム系もいれば、 系統不明もたくさんいました。そしてできた文字は、ときにシュメール系とアッカド系の混合で、一つの文字には多数の読み方がありました。 紀元前500年、春秋時代の斉の都の遺跡から出た人骨の大半はドイツ人、フィンランド人、アイルランド人のDNAと同じだったと言われています。BC500のヨーロッパにはドイツ人もフランス人もおらず、ローマも建国神話の時代です。京都にある太秦(うずまさ)は大秦国、すなわちアケメネス朝ペルシャから来た渡来人が築いた街と言う説もあり、聖徳太子も中東に興味を持っていたと言われています。AD701年の大宝律令の制定によって日本の律令制が進み、朝廷で官僚として政治を司っていたのは百済系と新羅系の二大勢力でその二派がその時代の天皇を味方に引き込み、他方を排斥するということを繰り返していました。簡単に言うと、平氏・藤氏=百済、源氏・橘氏=新羅 。AD794年に桓武天皇に取り入った百済系氏族が新羅系氏族の多くを排斥し、新羅系氏族は当時の科学芸術神事医学分野において世界トップレベルであったので神事仏事を司る役職はそのまま新羅系氏族に引き継がせたと言います。新羅系氏族で超一大勢力を誇っていたのが秦氏一族で日本の神社の9割以上の神官宮司は今でも秦氏による世襲であるという説もあります。当時の日本には高句麗人もいたし、中国系の漢氏もいました。新潟県は弥生時代の古代から新羅(加羅)系氏族が勢力を持っていました。 カザフスタン・南露・東欧と移動したキプチャク・クマンと同じ、アルタイクマン族は前漢武帝の頃にはすでに出羽に達していましたが、ユーラシアからアフリカを行き来したフンの前身とでも言うべき存在で、シュメール・インダス・夏・殷文明を生んだと言う説もあります。能登のなまはげは沖縄、青森、クラコフなどに春駒として儀式が残り、クラコフはタタールが導入したもので、 ナマハゲの面はスイスにもあります。クマンというのは白鳥人という意味で、日本の本州浦日本側に白鳥伝説が広がっています。クダラというのはギリシャ語のスクーター、弓を射るという意味の言葉がスキタイとなったと言う説があり、月弓、月支、月氏、クダラ、月読命とは皆同じ意味となってしまうと言われます。三韓はスキタイが支配していて、ハタというのはスキタイの神官で、 軍事担当にはサカ族、貿易鍛冶担当がアラン族と言う説もあります。スキタイに混じってユダヤ系のようなのもいたと言われます。 新羅に残る古墳、装飾品は紛れもなくスキタイのもので推古・斎明時代のトカラ人の来朝などでコーカソイドが入ったと言われます。子宝に恵まれなかったアブラハムにエジプト人の女性ハガルとのあいだにイシュマエルが生まれ、これがアラブ人の祖先となりました。その後正妻のサラからイサクが生まれアブラハムはこれを後継者と認め、そのイサクは双子をもうけ兄をエサウ、弟をヤコブと言い、ヤコブは神と格闘して負けなかったので「イスラエル(神に勝つもの)」と名乗る事を許されます。ここからがユダヤ人(イスラエル人)となります。その子孫が12人いて各支族の長となります。1.ルペン  2.シメオン  3.レビ   4.ユダ   5.ダン   6.ナフタリ  7.ガド   8.アシェル  9.イッカサル10.ゼブルン11.ヨセフ 12.ベニヤミン 。一般的に3.レビは祭儀専門支族で別格とし、11のヨセフの息子11−1. エフライム、11−2.マナセが独立させた支族を指し含みて「12支族」として扱うのが 一般的です。エンリルは、シュメールの最高神であり、自然の力の象徴として信じられました。シュメール語は、日本語のように“てにおは”の類を用いる膠着語であり、地域の言語の内では孤立した言語です。メソポタミヤ地方の元来の住人は、セム系のアッカド人、アモリ人だったと考えられますが、最初の偉大なメソポタミア文明を担ったのは、彼らではなく、南メソポタミヤに突然現れた、シュメール人でした。シュメール人は6000年ほど前、メソポタミアの地に突然やって来ました。彼らは、文字(楔形文字)・文学・法制・教育・医学・天文学・建築技術・造船技術・集約農業・商工業・貿易など、ありとあらゆる分野の文明を所有していましたが、それに先行する文明は見つかっていません。BC2300年ごろ、シュメールはアッカドに破れますが前21世紀ころ再び勢力を盛り返しアッカド王国から独立し、ウル第3王朝を建てますが、これもアムル人の侵入により崩壊してしまいました。これを最後にシュメール人は消えてしまったのです。日本語は漢字仮名まじり文章を使っていますが、その構造はシュメール語と同じです。創世神話、イシュタル女神の冥界下りなど、シュメール神話の多くが、日本神話に取り入れられています。ユダヤ教やキリスト教の影響も見られますが、日本の地理的名称にシュメール系の言葉が多いと言われています。DNA研究によると、シュメール人はアジアンモンゴロイド、ポルネシアンモンゴロイドに分布がみられるそうです。東南アジア、東アジア、ポルネシアン、アメリカンインディアンとかなりちらばったようです。大陸ルートとして、インド、そこから中国、半島、日本へ。シュメール文明とインダス文明には貿易があり、鉱物資源はインダスからシュメールに送られていました。日本の尺貫法は、十進法と六十進法の併用で成り立っていて、これはシュメールの計測法と同じです。シュメール人はアブラハムとともに旅に出たと言う説があります。イスラエル人の父祖であるアブラハムの家族がシュメールのウル出身であることを記しているのはよく知られた事実です。アブラハムはセム系遊牧民でした。アブラハムは遊牧民に戻ることにし一族を引き連れてカナンに向かいます。その移動にシュメール人も加わったと言います。彼の妻サラはシュメール人で、次男のイサクを生みます。イスマエルの末裔がアラブ12支族を産み、イスラム教の開祖マホメットが誕生します。イサクの子ヤコブがエジプトに移住し、その後モーゼに率いられてエジプトを脱出、カナンに戻ります。ダビデ、ソロモンと続き、やがてイスラエルは南北に分かれます。「北イスラエル王国」は、偶像崇拝、多神教へと姿を変えていきましたが、これはシュメール人の宗教に戻っていったのです。シュメール文明は北イスラエル王国に引き継がれていったのです。その北イスラエル王国はアッシリアに滅ぼされます。このとき、イスラエル10支族は、捕虜としてアッシリア帝国へ連行されて行きました。それ以降歴史から、イスラエル10氏族は消えてしまったのです。シュメールの神々はインドに渡ってヒンドゥ教の神々になり、仏教に導入されています。 シュメール語で「矢」は「ti」と発音されていました。「ti」は武器であると同時に人生をも表す記号でありました。したがって「En-lil-ti」は「エン・リルは人生である」あるいは「神が人生を与え給う」というふうに解釈されます。シュメール神話における主神「エンリル」の暗喩名は「五十」という数字で、「五十」という数字はシリウス星系の周期を意味する数字と言う説もあります。そして時代が下るとバビロニアの星座表記には、「矢」、あるいは「弓」、ともに「大犬座(あるいはその一部)」を表す記号となっていますが、大犬座の首星といえば、シリウスです。「矢」という星は人類の創造主の居場所として、人生そのものを表すことも理解できます。中国語では漢字の「矢」の音価は〔shi〕ですが、これと同音の字のひとつ「誓」があります。「誓う」を意味する言葉です。信仰の視点からみると、「光陰矢の如し」のもうひとつ別の訳文は「矢(という星)は時を決める」になります。まさに、「矢」は主星を五十年という周期で廻って、「目の星」と呼ばれ、そして「時を決める」役割を果たしているシリウスBをも含めて表します。ドゴン族の神話のなかのキーワードとして、「三連星」、「五十」、「目の星」、「半魚人」など、同じような概念をシュメール神話のなかに存在することになりますが、類最古の文明であるといわれ、メソポタミア文明には「シリウス信仰」の特徴が明らかに含まれています。エンキとは「水の支配者」と呼ばれ、水の深淵に棲家を持つ、天神アヌ、風神エンリルと並んで、シュメール神話の三柱の神です。いつも半魚半人の格好をしていて、古代シュメールではエンキ信仰を司る神官は魚の格好をすることになっていました。また、シュメール人は、地母神であるナンム(Nammu)、愛の女神であるイナンナ(Inannna)またはイシュタル、風神であるエンリル(Enlil)、雷神であるマルドゥーク(Marduk)などを崇拝しました。 ユダヤ人の祖先であるヘブライ人は、シュメールの奴隷であったと言う説があります。そして、シュメールがヒッタイト族に敗退したとき、シュメールの奴隷のヘブライ人は、一部はヒッタイト軍に降伏し、一部はシュメールによって解放され、アラビア半島に移ったと言われます。シュメール人と日本人には、次のような類似点があるそうです。(1)目が大きく鼻も大きく、身長は高からず、つぶらな瞳で、髪の色は黒いという シュメール人の人種的特徴は日本人に似ています。 (2)日本語とシュメール語は、統語論的に似ているだけでなく、意味論的にも共通 するところがあります。(3)日本の皇室の紋章・十六菊花紋の原型は菊の花弁ではなく、船乗りが使ってい た羅針儀または日時計を平面に図案化したものではないかと考えられます。(4)日本列島で発見されたペトログラフ(岩刻文字)のほとんどがシュメール文字として解読できます。シュメール人や縄文人は、温暖な気候に適応した顔の特徴を持っています。人類が鉄を知ったのは隕石からで、シュメール語で「天の金属」という表現で記録されている金属がありますが、それらは「隕鉄」のことであると解釈されています。隕鉄は400度くらいで加工できるので、古代人でも簡単に扱えました。この不思議な金属に、人びとは畏敬の念を持ち、小アジアやギリシアで、隕石を聖なる石として祭る風習も残っています。現在でもイスラム教徒の崇拝を集めているメッカの力ーバ神殿の黒い石も、巨大な隕石ではないかと言う説もあります。やがて人類は、鉄鉱石を精錬して鉄を得る方法を知りますが、おそらく、金や銅などを精錬する過程で偶然鉄がつくられ、その精錬法を学んだのではないかと推測されます。シュメール人はどこから来たのでしょうか。それは誰にも分かりません。ただ一つ言えることは、そこには永遠のロマンがあるのではないでしょうか。例えるなら、夜空駆ける一筋の流れ星のような。それは、日本人のシュールな夢であるのかも知れません。