僕はとうとうイスタンブールに辿り着いた。もう地球1周4万キロは移動してきたかと思われる。アジアの終着点。遠かったようで近かったようにも感じる。それは僕の心の中で「アジア人」としての意識が芽生えたからであろうか・・。
イスタンブールは今までにないぐらいの大きな町だ。この日、僕は早速イスタンブールを自分の肌で感じるために町中を歩き回った。中心街「タキシム広場」に向かうバスの車窓から、新しい世界が目の前に広がる。オスマン帝国時代最も栄え、当時多くの人々がここに目指したであろう、数々のモスクが立ち並ぶ。
「トラム」といった路面電車は、ヨーロッパ調の建物の中を縦横無尽に突っ走る。若者達や観光客、そして釣り人達が集まり整備された海岸。アジアには決してなかった目新しいものばかりだ。
アジアとヨーロッパを繋ぐ「ボスポラス大橋」。僕はもうヨーロッパ側の地に立っている。橋の向こうは僕が歩いてきた「アジア」が見える。そして、その遥か向こう「日本」では僕の友人達が頑張っている。
「ずいぶん遠くまで来たもんだ・・」 何度も月並みなフレーズが頭に浮かぶ。
中心街を歩くと、様々な顔をした人種が行き交う場面に直面する。イラン人やアルメニア人といったような、アジア混ざりのアーリア系。瞳は青く、フランスやギリシャから観光に来たと思われるヨーロッパ系。そして我が国日本からも、遥々飛行機でやって来たモンゴロイド系。現地のトルコ人よりも目に付く団体旅行軍団。正にここは東と西の人々が出会う歴史と文化の交差点というわけだ。
さてこのような西側への新しい出発点であるここイスタンブール。本来なら旅人達はわくわくするであろう。しかし、僕はこれからの新しい世界を待ち受ける喜びよりも、僕の中でひとつの「アジア」が終わってしまったことを何故か感傷的に捉えてしまっていた。「アジア」民族とはまた違う国へ足を踏み入れてしまったからだろうか。
東から来た旅行者は皆口を揃えて言う。「トルコはもうヨーロッパだ。トルコには人の温かみをあまり感じない」そして西から来た者はいう。「トルコはアジアだね。人が皆温かいよ」と。どっちが本当なのだろうか、よく議論になっている場面を目にする。いや、どっちも事実でありお互いギャップを感じているだけ。そして僕は「東から来た者」であるだけ。皆自分の価値観でしか判断できない。
ボスポラス大橋の真下で、僕は今まで出会った各国の「友達となった人」「お世話になった人々」「巧みに騙してくれた人々」たちの顔が思い浮かんだ。長いようで短かった7ヶ月、11ヶ国の国々で様々な生き方をのぞいてきた。今思えばとてつもなく大きな「心」や「価値観」に出会えた7ヶ月でもあった。今回、僕の旅のテーマでもあった「人」。世界遺産でもない。自然でもない。「彼らの心」。彼らの気質を肌で感じたい。彼らとふれあうことができたこの7ヶ月は、僕の人生の中でも大きな財産となった。
旅に出る前、西洋的な考えを持っていた僕は、感覚的に人間社会の中でイスラム文化圏は遅れていると感じ、いつか彼らも僕たちの考え方に追いつくんだとすら思っていた。それは大きな過ちであり、そして深いおごりでもあった。
彼らには彼ら独自の文化があり、決してそれは先進諸国の価値観でははかれない。いつの時代も経済的強者の意見が『グローバルスタンダート』となりがちであるが、最近の僕はそうではない気もしてきた。
人類の長い歴史上、最後に世界を動かしてきたのはやはり「民衆」であり、大多数の「世論」だ。僕が思っていたよりもイスラム圏は大きい。そしてこのイスラム圏は、今の複雑な世の中でも、世界的にも拡大しつつある宗教だという。もしかするとこれから、イスラムの教えがスタンダードになる日も、遠い未来有り得るかもしれない。その日の為に、同じアジア人として、ふと、彼らの考えをもっと知る必要がある気がした。