9月17日 晴
カトマンドゥからの発熱がとうとう3週間経ってしまった。一体何が原因なのであろうか。日本より持参していた「旅の病気」という本を見ている時間が長くなる。「長期的微熱」「潜伏期間3週間」=A型肝炎。同じページばかり僕は何度も眺めている。
尿や便は大丈夫か、毎日10回以上体温計にお世話になり気が気でない日が続く。
「早く大きな街へ出なければ・・」
そんなはやる気持ちが治まらない微熱を更に長引かせていたのだろうか。
ここ二週間以上の間ツーリストと出会ったのはたったの二回だ。一人で食事をする日が続く。精神的不安定な状況が続いていたのも体力がなかなか回復しない原因かもしれない。音楽は邦楽ばかりを聞き、日本の友人へ会いたくなる気持ちは募るばかり。改めて日本での何もなかったように思えた日々が幸せに感じる。高校時代、大学時代、サラリーマン時代と多くの友人を得た。家族を含め、僕にはたくさんの財産が日本にあり、そして僕を待っている。。
「体だけは日本へ持って帰らなければ・・」
日本がとても恋しい。
9月27日 晴
僕は今カルカッタの「ベルビュー」という病院に入院している。今日で2日目だ。何故僕はこんなところに寝ているのだろうか。2日前、ネパールより治まらなかった熱が再発した。それはバラナシ行きの切符を買いに、同じ日本人の女の子とカルカッタ駅へ向かったときのこと。
激しい倦怠感が僕を襲う。昨日の夕刻も同じように体にだるさを感じて体温が1度以上上がっていたので懸念はしていたのだが、今はその時以上の重みが体にのしかかる。
「重い・・一体何なのだこの重みは・・」
僕は不安になった。細菌なのか肝炎なのか。歩いていて視界に入るインドの光景は僕の目には何も写らない。
「もしここで一人だったら周りのインド人達と同じように道端で倒れ誰も気付かずに置き去りにされるのだろうか…。」そんな消極的な考えばかりが頭をよぎる。
重い体を引きずり宿に帰着して熱を計ると、平温より3度も高い。
その後、解熱剤を服用して一時は微熱まで下がったのであるが、夜半大量の汗と共に熱が出たのをきっかけに、僕はカルカッタで一番有名な医院へ向かう事にした。扱いに慣れていた旅行者専門の医者はすぐに入院にして安静にしておくようにと判断する。そして僕は海外旅行傷害保険に加入していた事もあり、病院一高いACテレビ付きの部屋に入院することになった。
入院期間は4日間。ここでは医師、ナース、清掃係、輸血係、X線係、尿便係、食事係と幾人もの人たちが僕の部屋を出入りする。何から何まで彼らが僕の面倒を見てくれる。そして旅をして6ヶ月間で一番清潔な部屋に泊まり、僕は自分でも「十分すぎる」と確信できる程体を休めることができた。今までどれほど汚く不衛生な宿に泊まっていたのだろうか、それを改めて感じると共に、日本での清潔過ぎた生活が懐かしく思い出される。日本でいくら不潔だと思っている行為でも、世界的にみればそこまで不潔ではない。世界全体からすれば日本は高水準の衛生を保っている国だ・・。
この時の僕はもう日本に帰国したような感覚でいたが、自分の部屋、最も景色の良い4階からカルカッタの街を見下ろすと、老朽化したビルがいつものように目下に立ち並ぶ。昨日まで見てきたカルカッタ市内の光景、またインドに入国してこの10日間のことが鮮明に頭に蘇ってきた。
平然と道路に汚物が垂れ流され、黄ばみきった道路には、日銭を稼ぐためのインド人たちが大勢大声で叫び通う。至るところに山積みされた放り出されたごみや、排泄物の山にはカラスや豚が群がり、人間の姿もちらほらとみえる。今は雨季のために感染症が蔓延しやすい環境。どこで人が死んでいるかもわからない。ふと1週間前に街で出会った『もの』のことを思い出した。その時の抑えることの出来なくなった何とも言えない感情。
その日も街を歩き、そこからたちこもる悪臭に正直嫌気がさしていた。僕のこの国に対する「汚い」という気持ちはなかなか拭えない。いくらこれがインドなのだといわれても、この時の僕は日本人として生理的に受け付けられないものが存在していた。
「早く出国したい、この国から・・」そんな矢先僕はこの街の真中で路上にて「死人」を目撃してしまった。まだ温かそうだ。僕は一瞬戸惑った。そして自分の目を疑った。
「こんな大都会の真中で・・有り得るのだろうか・・」
60代ぐらいのホームレスである。つい1時間前までは生きていたであろうその死体は、瞳孔が開ききったまま1mmたりとも動かない。あのダッカでの衝撃が再び僕の体を揺さぶる。僕は彼の姿をしばらく凝視しながら、
「この男もまたどうしてこんな状態になるまで誰も気が付かなかったのだろうか・・」
僕は頭が混乱し始めた。そして周りにいた警備員が僕に向かって「向こうへ行け!」という。彼はこのままバラナシへ運ばれて行くのだろうか。それともここに永遠に放置されてしまうのだろうか。
何故だかわからないが涙が溢れる。これが本当に人間の世界なのだろうか。誰も彼を助けてあげられなかった・・そしてこの僕も・・。
僕の目の前ではあらゆる神が奉られ宗教と民族が絡み合っている。どの信者も頭を地面にひれ伏しただ一点を見つめるのみ・・
ここには日本では想像のつかなかった巨大な「貧困」が存在する。街を歩けば、外国人旅行者を狙ったインド人が次々と声をかけてくる。彼らの目の前で僕たちは平然と彼らの年収以上の金を次々と落としているのだからそれは当たり前のことだ。彼らが生きていくのに、僕達は絶好の獲物になる。物乞いの子供達の中には、配給の食事を楽しみに笑顔で並ぶ子もいれば、小綺麗な服を身にまといながら、抱きかかえた赤ん坊を指差して悲壮な顔で僕に訴えかける子供もいる。皆己の「貧しさ」を嘆いているかのようにあらゆる「神」へとすがりつく。彼等にとって「神」は何よりも大きな存在、貧困すら解決してくれるものなのだろうか。神は自分の中にしか存在しないと思っている「無宗教」の僕には理解し難いのだが、あらゆるものを見てきた僕は、正直最近何が何やら分からない。僕の体は「富」と「貧困」の間を行き来する。夢と現実の間を行き来するかのように・・。
この日以来、僕の周りで血の臭いがする。路上で寝ているインド人が全て死人に見えるのは気のせいだろうか。
カルカッタだけでなく、このインドには病や体の不自由に苦しむ人々が何億と存在するはずだ。そして、今その中に混じってこの僕もインドの「病院」にいる。
この私立病院に来る人の多くは一部の「富」を得ている人。僕もその内の一人に入る。今のところ検査によると熱の原因は「疲労」からきた細菌の侵入らしいが、これほどまでに自分に罪悪感を持ってしまうのは何故だろうか。生まれた環境が違う。立場が違う。育ちが違う。体質が違う。だからといって全てが片付けられるのだろうか。少なくとも同じ人間なのに。自分が生まれた国や環境が世界の中でも常に特殊なのは旅に出てから感じ続けてきた事だが、そもそも自分の立場を「特殊」と感じること自体が先進国の驕りなのかもしれない。この国の中ですら僕は特別守られて生きている。