2008年冬 拍手SS
金色のコルダ/月森蓮
月森君が旅立つの日の朝、ふたりだけで会った。
空港へ向かうまでの僅かな時間。
私たちは『おはよう』の言葉を交わし、小さなカフェに入った。
紅茶が運ばれてきて、一口だけ飲む。
冷えていく紅茶の水面を見つめ、何度も開きかけた口を閉じる。
言葉を発せば、きっと想いを止めることができない。
瞳を見てしまったら、きっと泣いてしまう。
だから目を見ない、喋らない。
ヴィオリンを奏でる美しい月森君の指がティーカップを撫でるのばかりを見ていた。
「時間だ」
久しぶりに聞いた気がする声は静かだった。
思わず上げてしまった視線が月森君と合ってしまう。
彼の深い琥珀色の瞳はヴァイオリンの色に似ていた。
「日野」
「うん」
もう店を出るのだと腰を浮かせば、
月森君の手が伸びてきて、そっと頬に添えられた。
自分のものではない温もりに驚いて、見上げた先に優しく切ない瞳を見る。
「俺は・・・君が好きだ」
言わないで、そんなこと。
曖昧に感じていた心を言葉にして残さないで。
だって、月森君は帰ってこないのに。
「いつかまた会えると信じている。君がヴァイオリンを続ける限り・・・」
私の答えを求めないまま、月森君は旅立っていった。
月森君へと続く道が、私の前にある。
長く辛い道になるだろう。
ゴールなど、生涯をかけてもありはしない気がする。
それでも前を行く人がいるから、私は歩き出す。
いつか、また。
会えた時には私の気持ちを打ち明けよう。
テニスの王子様/大石秀一郎 第二話
ボウリングに連れて行くと約束したのは確かだが、ふたりきりでとは言ってない。
俺はエージと不二を誘い、その中に彼女を混ぜてボーリングに出かけた。
デートだと勘違いしていた節のある彼女は、初対面の二人を前に始めは驚いていた。
しかし直ぐに立ち直り、今度は満面の笑みで俺に言った。
「秀一郎様のお友達に紹介してもらえるなんて、とても嬉しいです」と。
確かに紹介しましたが、意味が違いますから。
喉まで出かかった言葉は、にこやかな不二の声に遮られた。
「はじめまして、不二です」
「菊丸英二デスっ、宜しくぅ」
まぁ、いいか。
不二もエージも昔から女性にはモテる。
昔は寂しい思いもした俺だが、今日はその点を逆手にとるつもりだった。
彼女の気持ちが二人のどちらかに向かえば、俺は解放される。
この勘違いが多くて、思い込みの激しい彼女から逃れるためなら手段は選ばない。
俺も大人になって悪い人間になったなぁと感慨深い。
だが・・・ゲームを始めて三十分、俺は彼女にかかりきりになっていた。
この根っからのお嬢様はボーリングをしたことがないという。
「靴を履き替えて」
「まぁ、この靴はお安いんですね」
「レンタルですから」
「ええっ、買ったんじゃありませんの?」
次にボールを選ばせると
「きゃあっ!!秀一郎様、恐ろしく重いです!」
「重いものなんです。これ以上軽いのはありませんよ」
「ボーリングって、過酷な遊びなんですね
わたくし・・・こんな重いもの、生まれて初めて持ちました」
「・・・幸せな人生ですね」
投げさせれば
「秀一郎様、わたくしのボールはどうして溝にしか転がらないのですか」
「下手だからですよ」
不二とエージは他人事で、俺たちを横目に笑ってばかりだ。
「秀一郎様・・・」
ピンに辿り着かないボールに、とうとう彼女の大きな瞳が揺れ始める。
君は小学生かと意見したい気持ちもあったが、ションボリしている姿を放ってもおけない。
仕方なく手を添え、体を添え。言葉通りの手取り足取りでポーリングを教えた。
一時間も過ぎた頃。
ぎこちないフォームとヨロヨロと転がるような動きではあったが、
彼女のボールは溝に落ちることなくピンに辿り着いた。
端っこのピンが一つだけ倒れる。
その途端、彼女は飛び上るようにして歓声をあげた。
「秀一郎様!!わたくし、やりました!!倒しました!」
子供のように喜んで、俺の手を握ると力任せにブンブンと振る。
小さくて華奢な手が震えていた。
「よくできました」
思わず褒めてやると、彼女は瞳を丸くして。
次にはこれ以上ないほど嬉しそうに「ハイ!!」と微笑んだ。
それから後はボーリングに目覚めた彼女に付き合って、三時間も投げ続けた。
感激しきりの彼女を迎えの車に乗せ、やっと息をついた時。
不二とエージが、にやにやと笑っているのに気がついた。
嫌な予感。
「な、なんだ?」
「なんだって。ねぇ〜、不二」
「うん。お似合いの二人だったよね」
「そうそう。彼女、めちゃ可愛いし。式には呼んでよね」
「大石、お幸せに」
待て、それは違うから。
そこから一晩をかけて否定したけれど、ふたりは笑ってばかりで取り合ってはくれなかった。
テニスの王子様/乾貞治
昨夜、私は失恋した。
五年も付き合った男に、他に好きなコができたと言われた。
そうじゃないかな・・・とは思っていたけど、現実を目の前に突きつけられるのとは別だ。
格好良く『さようなら。今まで楽しかったわ』と店を出て、その足で乾の家に行った。
コンビニで買った、抱えきれないほどの酒とツマミを持ってだ。
「とうとう捨てられたか。遅かったぐらいだ」
言葉を選ぼうともしない腐れ縁の悪友に怒りが爆発する。
私は乾に柿ピーとチーズたらを投げつけ、
散々文句を言ったあとは、これでもかっていうほど泣いてやった。
「ああ、ヨシヨシ。俺がとことん付き合ってやるから、ほら・・飲んで」
「乾の馬鹿ぁ〜」
「俺が馬鹿なんじゃなくて、君が馬鹿なんだって」
「何でよ、酷いぃ」
「酷いのは、どっちだ」
そう乾が呟いたのを覚えている。
その時には狭いガラステーブルの上に空き缶の山ができ、
載りきらない空き缶が絨毯の上に転がってシミを作っていた。
そこから先の記憶はない。
乾に名前を呼ばれた気がする。それはもう、何度も。
大きな手が熱かった。
何故、手?
目が覚めた時の気分の悪さと言ったら、二度と酒は飲むまいと心に誓えるほどだった。
激しく痛む頭と吐き気を耐えながら身を起こせば、ブラインドの隙間から朝日が射している。
それは自分の部屋ではない光景。
更に信じがたいのは、狭いベッドの中に私以外の人間が眠っているということ。
当然のことだが。寝ているのは、この部屋の主である乾だ。
でも、何故か服を着ていない。
ついでに言うなら、私も着ていない。
そこからの私の行動は素早かった。
とにかく逃げなくては。それしか頭になかった。
頭痛と戦いながら乗った地下鉄。
早朝出勤するサラリーマンたちから視線を逸らして俯く。
誰に知られているわけでもないのに酷く恥ずかしくて堪らなかった。
入り口近くの僅かなスペースにもたれた時、ふっと自分のものとは違う香りに気付く。
乾のつけてるコロンの香りが、私に・・・
なんてこと。
もう、立ち直れそうにない。
テニスの王子様/跡部景吾
最近、跡部が近付いてくると胃の辺りが変な感じがする。
痛いというか、キリキリするというか、せり上がってくるというか、とにかく変な感じだ。
「おい、」
名前を呼ばれるのと同時に肩を叩かれた。
自分でも驚くほどに体が跳ね、顔を引き攣らせて振り返れば声の主が目を丸くしていた。
「なんだ、お前」
「な、なんだは私のセリフ。驚かせないでよ!」
「はぁ?俺は何度も呼んだぜ?
ぼぉ〜っとしている、てめぇが悪いんだろうよ。なに考えてたんだ?」
なにを考えてたって、・・・跡部のこと。
思い至ったら急に頬が熱くなる気がして焦った。
また胃というか、その少し上あたりが拍動する。
「なんだ。お前、顔が赤くないか?」
言うなり手を伸ばしてくる跡部に気付き、咄嗟に飛び逃げた。
届かなかった手を上にして、わざとらしく肩をすくめた跡部が唇の端で笑う。
「様子が変かと思ったが、なんだ・・・元気じゃねぇの」
「ご心配なく。元気過ぎて困ってるぐらいだから。それで、なに?」
動揺を悟られないよう表情を繕って睨めば、跡部が溜息と一緒にファイルを差し出してきた。
それは昨日から私が探していたファイル。
あんなに探したのにコイツが持っていたのかと思えば怒りが湧いてくる。
怒鳴ってやろうと息を吸い込んだ時、資料に貼られている付箋に気がついた。
「直せるところは直しておいた。足りない資料は放課後までに揃えておいてやる」
「跡部、これ・・・」
「俺も人のことは言えないが、なんでも一人でやろうたって限界があるぜ?
お前のことだから俺の手なんか借りたくないんだろうが、あいにく俺様が会長なんでな
副会長のお前がぶっ倒れそうなほどフラフラになって働いてるのをほっとくわけにもいかねぇだろ」
エラそうに腕を組み、顎を上げ加減に話す跡部。
その態度が気に入らないし、嫌いなんだって。
だから私に優しくするな。
ああ、また胃が痛い。
文句を言う気力も失って、私はファイルを胸に抱くと俯いた。
跡部のことだ。きっと中身は完璧に修正されていることだろう。
「すみませんね、力不足で。じゃあ、どうも」
さっさと行こう。
そう踵を返したところで、後ろから肘を引っ張られる。
何をと思った時には、ヒンヤリとした大きな手が私の額に触れてきた。
背中に重なる温もりと一緒に、耳元へ低い声が吹き込まれる。
「お前、熱・・ないか?」
咄嗟に振り向こうとして、直ぐそこにある跡部の顔に息をのんだ。
これって背中から抱きしめられているみたいじゃない。
気付いた時には跡部の手を振り払い、突き飛ばすようにして部屋を飛び出していた。
嫌だ、嫌だ、嫌だ。
掴まれた肘も、抱き寄せられた肩も、触れた背も、額も、全てが一瞬で熱を持つ。
心臓が口から飛び出しそうだ。
ああやって跡部はいつも女のコに触れているんだ。
優しく、柔らかく、包むように。
そう思ったら、また胃が酷く痛んできた。
「痛・・」
分かった。
不調の原因は跡部しかいない。
アイツに関わると体が拒否反応を示すのだと思う。
ならば離れるしかない。
だって、あんな奴・・・大嫌いなんだから。
家庭教師ヒットマンREBORN!/雲雀恭弥
あんな人に恋人なんて絶対に出来ないと思っていた。
そんな雲雀さんがひとりの女性を囲っているらしいと聞いた時、俺はにわかに信じられなかった。
「本気で不本意ですが、十代目は雲雀んとこに避難してて下さい」
返事をする間もなく、獄寺君に押し込められたのは雲雀さんの隠れ家。
普通は地下に作った隠れ家なんて暗くて冷たい、小さな所だと思うのだが
雲雀さんの隠れ家は堂々とした日本家屋で、庭つき、池つき、畳敷きだった。
手入れされた日本庭園といい、襖の絵、欄間といい、雲雀さんのコダワリが思いっきり出ている。
それにしても雲雀さんの留守中にお邪魔して、あとで咬み殺されたりしないのだろうかと怖い。
大人になった雲雀さんの怖さと強さは、十年前とは比べ物にならないんだから。
想像するだけで恐ろしいので、とりあえず庭に向かって修行のイメージトレーニングをすることにした。
その時だ。奥の廊下から人が近付いてくる気配がしてきた。
瞬時に身構えて目を開けば、思いもしない姿が廊下にあった。
「誰?」
鈴の鳴るような声って、こういうのを言うのかなって思うほど澄んだ声。
流れるような黒髪を簡単に結った着物姿の女性が立っていた。
あまりに綺麗な人だから言葉が出ない。
その人は白くて華奢な手を伸ばし、再び「誰か居るの?」と訊いた。
そこで気付いた。綺麗な人の瞳には俺が映っていない。
漆黒の瞳は光りを捉えていなかった。
「あ、あの怪しい者じゃありません。えっと、その雲雀さんとは昔からの知り合いで」
「恭弥さんの?」
雲雀さんの名前を出した途端、その人はホッとした表情を見せて微笑んだ。
綺麗なお姉さんだと思ったけれど、笑うと幼く見えて可愛い。
目は見えなくても慣れているのか、真っ直ぐに俺のもとまで進んできて膝をついた。
白い指を揃えると丁寧に頭を下げて、ようこそいらっしゃいましたと言う。
近くで見ると本当に美しく華奢な人で、俺は挙動不審に陥った。
「あっ、いえ。こちらこそっていうか、すみません!勝手にお邪魔して」
わたわたしていたら、頭の上を黄色い物体が掠めていった。
何だと思えば、それは雲雀さんのヒバード。
飛んできたヒバードは彼女の肩に降りると、白い頬に頭を擦りつけて甘えている。
嫌な予感がした。というか、殺気を感じた。
そう思った時には首筋にトンファーがあてられて、息が止まるかと思った。
「君、ひとんちで何してるの?」
「な、何もしてないです!!」
咬み殺されるのかと震えた時、前から鈴のような声が雲雀さんの名前を呼んだ。
「恭弥さん、おかえりなさい」
「ただいま」
すっと殺気が消えて、楽になる。
深呼吸して顔をあげれば、綺麗な人の肩を抱いて黒髪に唇を寄せる雲雀さんがいた。
まるで美しい一枚の絵のような二人。
嘘・・・だろ。
恥ずかしそうに長い睫毛を伏せる人の目元にも唇を寄せながら、視線で殺せそうな瞳で俺を見る。
俺、何もしてません。怖いです、本気で。
必死で頭を振り無実を訴える。
「このコのこと、忘れてくれる?僕以外の人間に見られるの嫌なんだ」
「へっ?」
「なんなら君の記憶を消そうか」
「わ、忘れます!もう忘れましたっ」
「そっ。なら他の人にも言わないでね」
それだけ言うと、軽々と彼女を抱きあげて俺に背を向けた雲雀さん。
今すぐ出てってと、念押しするのも忘れなかった。
雲雀さんに抱かれた美しい人は、その肩越しに俺に向かって微笑んでくれた。
赤い着物とお揃いの髪飾りが黒髪に揺れて、雲雀さんの黒に添う。
無垢な笑みを浮かべる彼女を宝物のように抱いて、雲雀さんは廊下の奥へと消えてしまった。
噂は本当だった。
雲雀さんは大切な人を誰の目にも触れさせずに囲っていた。
でも、忘れなくちゃ。
今出ていったら獄寺君に怒られるのは確実だけど、ここに居続けるのは更に怖い。
俺は覚悟を決めて、雲雀さんの隠れ家を出ることにした。
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