2010年初夏 拍手SS










     テニスの王子様 / 乾編





手には甘ったるいピーチフィズ。
小さな泡の粒が水面に弾けていく。



「キスしよっか」



酔いにまかせて至極明るく言った。
乾は一瞬だけ大きく瞬きをしたが、慌てることも、困惑する様子も見せない。


さて、どう冗談にして笑い飛ばすか。
次の会話を組み立てる私に向かい、乾はやんわりと微笑んだ。



「いいよ」
「え?」



思いがけない返答に私のほうが目を瞬かせる。



「キスしよう」



穏やかな落ち着いた声色に絶望した。


音を立ててグラスを置く。
無意識に脇のバッグを手に取り、思い直して離した。
意を決して乾を見れば、彼は視線を逸らすことなく私を見ている。



そうか、乾は知っているんだ。



私は片手で目元を覆い、テーブルに肘をついた。
そのまま肩を揺らして笑う。


可笑しくて、可笑しくて。そして悲しくて。笑いが止まらなくなる。



「酔っ払いの戯れ言にのらないの」



ああ、可笑しい。こんな恋心、泡と同じように弾けて空に溶けてしまえばいい。



「帰ろう。悪酔いしちゃった」



努めて明るい声を出し、今度こそバッグを手にする。
何かを言いかけた乾は唇を閉じ、黙って伝票に手を伸ばした。


彼の薬指に輝く指輪。



すべては唯の言葉遊びだから、どうぞ私を責めないで。




















     ときメモGS / 姫条まどか





ふたりで会うのは二カ月ぶり。
別に遠距離恋愛をしているわけじゃない。
同じ街に住んで、隣の街で仕事をしている。


ただ、彼は小さな会社を切り盛りする若き社長で、国内外を飛び回る生活。
私は薬の開発を手がける研究員で、帰宅時間も一定じゃないうえに泊まりだってある。
そんなこんなで合わせる時間がないままに、二か月が過ぎていた。



「お、髪が伸びたなぁ」
「先週、切ったんだけど」



なんて。だから会うたびに噛み合わない会話をしなくてはならない。
そろそろ潮時だろうか。けれど特別に危ない気配もなくて判断に困る。



夜の繁華街を歩きながら、ふと思ったことを言葉にした。



「まどか、少し背が伸びた?」
「まさか。さすがにコノ歳で成長期もないやろ」


「そっか。いつも背の低い男に囲まれてるから、まどかが高く見えるのかな」



見慣れている研究所の同僚たちに、まどかほど背の高い人はいない。
そんな事を考えながら、妙に気恥ずかしくなるほど久し振りな横顔を見上げた。


イイ男だと思う。
昔と同様、今も女のコにはモテモテだろう。
実は新しい恋人ぐらいいるかもね。けど言いだせなくて、本当は困ってたりして。


変なところで優しい男だから、傷つけたくないと隠し事を抱えていそうだ。



「ねぇ、まどか」



別れてもいいんだよ。
言いかけて、胃の辺りが酷く重苦しくなったのに口を噤む。
まどかは私の様子になど気づきもせず、鼻歌交じりに眩しい照明をともす花屋を覗き込んだ。
そしてバケツに並んだ色とりどりの花を指先で撫でると、至極軽い調子で私に問いかけてきた。



「俺ら結婚しようか」



私は間抜けな顔をしていたと思う。
聞き間違いだろうかと眉を寄せて首をかしげる。



「というか、結婚してください?」
「なんの冗談?」


「冗談みたいやろ」



なんて言いながら、まどかの視線は鮮やかな赤いバラに注がれている。
彼の口元が笑っているのに、タチの悪い冗談だと肩の力を抜いたが・・・続きがあった。



「けど、本気」



ゆっくりと視線が動き、気づいた時には真摯な瞳が私の姿を映していた。
飲み屋街にある花屋の前で、なんて顔して私を見るのか。



「もう会わんと暮らすんも限界や。結婚しよう」



後に誰かに聞かれても、こんな場所でプロポーズされたなんて言いにくい。
そう泣いてみたら、まどかは慌てて花屋にあるありったけの赤いバラを買ってくれた。



泣いたのは、ただただ嬉しかったからだけど。




















     テニスの王子様 / 手塚国光(『お慕いしております〜手塚編〜』にてUP済み)





それは偶然だった。
腐れ縁とも言える跡部に呼ばれ、嫌々ながら出向いた彼の城で見つけた藤の花。
本当なら国光のような立場の人間が足を踏み入れられぬ場所に見事な藤棚があった。



「今の季節はどこも花盛りだ。好きなら見てくるといい」



そう言った景吾に、国光は無言で頷いた。
だだし正室の住まう庭だけは駄目だと付け加えられたのには驚いたが、景吾の並々ならぬ寵愛ぶりを思うと当然だ。
口には出さないが、それほどに執着できる女に出会えたことが多少うらやましく思える。
まだ心動かされる出会いなど知らない自分だからだ。


花になど興味は薄い国光だったが、頷かなければ日が暮れるまで景吾の相手にされるのが目に見えていた。
剣を交えて同等に戦える相手に飢えている景吾は容赦がないうえに負けず嫌いだ。
気力、体力を消耗したうえに、夜には無駄に豪勢な宴が待っているときたら逃げ出したくもなる。


そんな理由で散策を始めた国光は、運命の『藤の花』を見つけたのだった。
隣では跡部家の家老が庭の造形について説明しているが、言葉は右から左へと通り過ぎていく。


藤の咲く庭には、花にも負けぬ美しい姫が外を眺めていた。


幸いなことに家老の位置からは他の木々に遮られて姫の姿が見えていない。
姫からも此方の姿は見えていないようだ。


しかし、長身の国光からは庭を眺める姫の横顔が遠目にも良く見えた。


透けるような白い肌に、艶のある黒髪。
大きな瞳は穏やかに瞬いて庭を映している。


高貴な家の姫というものは、あのように美しいものなのか。


これまでも他家の姫に引き合わされたことは多々ある。
だが、そこに花が咲いたような輝きを持つ姫を見たのは初めてだった。



「殿、どうかなさいましたか」



隣に立つ大石に声を掛けられ、自分が姫に見入っていたことに気づいた。
視線を逸らし、自分の中に起こった突然の感情に戸惑う。



「美しい花に魅入られたようですね」



後ろから不二が食えない笑みを浮かべて追い打ちをかけてきた。
油断ならない不二の観察眼に溜息を飲み込み、国光は無表情のまま藤棚に背を向ける。


姫の名を知りたい。そう、生まれて初めて思った。





今、その藤の花は自分の腕の中にいる。
疲労と安堵で、うつらうつらと夢と現の間にいる姫は無垢で可愛らしい。


跡部家が許さなければ、自分が娶ることなど叶わなかった姫だ。
家の格差に躊躇う国光の背を押したのは、不二をはじめとする家臣たち。



『お前が惚れてんなら、いいさ。幸せにしてやってくれ』



そう言って、無理を通してくれた景吾にも感謝している。
なのに姫には淋しい思いをさせて泣かせてしまった。


少し赤くなっている目元に唇を寄せると擽ったそうにして胸へとすり寄ってくる愛しい姫。
国光は笑みを浮かべると優しく黒髪を梳きながら目を閉じた。



生涯の恋は、すべて我が妻に。




















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