歓喜の瞬間
「!」
土曜日の午後。
探していた私服の背中を見つけて声をかける。
俯き加減だった彼女が弾かれたように顔を上げ、眉を寄せながらも笑顔を浮かべた。
なんだ、その顔。
「何か悪いもんでも食ったのか?」
「違います!上の物を取ってたら、何かが目に入ったみたいで」
が痛そうに顔を歪め、棚の上を指さす。
見るからに埃の積もっていそうな場所だ。
「おいおい。オケ部は卒業生に雑用をさせてるのか?」
「あ、そうじゃなくて。私が探してくるって言ったから」
「相変わらずのお人好しだな。どれ、見せてみろ」
軽い気持ちで、辛そうに片方だけ閉じたの目元に指を添えた。
余程痛いのだろう。
ポロポロと彼女の意志とは関係なく零れ落ちる涙。
濡れたことで黒くて長い睫毛が白い頬に映えている。
女というものは本当に繊細な作りなのだと思い、その肌に触れる自分の無骨な指に鼓動が跳ねた。
ああ、まずいな。
そう思った時には薄く開いた唇に意識が集中していた。
「先生?」
「あ〜、ちょっと待てよ」
手を放せばいい。
分かっているのに放せやしない。
ここは学院内だぞ。
卒業したとはいえ、相手は元教え子だ。
慎重に目元を拭ってやれば、涙に交じって長い睫毛が一本流れてきた。
「ヨシ、とれたんじゃないか」
「本当ですか?よかったぁ」
「待て」
笑って目元を擦ろうとした彼女の手首を無意識に掴んでいた。
まだ痛むのか眩しそうに目を細めて見上げられてしまったら、もう無理だと思う。
「擦らないほうがいい」
冷静さを装って出した声が上ずっている気がして自分でも可笑しい。
ここを通る生徒が今の時間いるだろうか。
その時は、その時か。
目の前の誘惑に勝てるほど、俺は枯れた大人になっていなかったようだ。
「動くなよ」
は素直に目を閉じて、次は何かと首をかしげて待っている。
瞳を伏せながら、小さく息を吸う。
顔を傾けて、恋い焦がれる柔らかな唇に自らの唇を
・・・歓喜の瞬間。
思いがけない感触に身を震わせた恋人の頭を支え、そっと笑えば胸を叩かれた。
真っ赤に茹であがったを隠す様に抱きしめて天井を見上げる。
「し・・信じられない」
「可愛らしい顔を見せたお前が悪い」
「そんなこと」
「ふらふらっとした俺も悪い。ま、おあいこだ」
苦しい言い訳だが、年下の恋人は許してくれるだろう。
煙草のにおいは嫌いと言いながら、甘えるように頬を寄せてくる君だから。
歓喜の瞬間
2008/08/16
初、金澤先生
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