愛しい
の音は彼女の持つ気質そのままに大らかで素直だ。
喜怒哀楽が分かりやすくて、俺から見れば言葉などなくても彼女の気分など直ぐに判別できるほど。
嬉しい、楽しい、悲しい、苦しい、困っている。
そんなものが日々のお天気のように変わっていくのを俺は知っている。
だが俺に対する気持ちだけは分かるようで分からない。
そんなところだけ分かりにくい彼女が憎らしくもなる今日この頃だ。
図書室で待っていると約束をした。
コンクールの後、お互いに明確な言葉として想いを告げあったわけではないが・・・
俺の考えでは想いあっているという結論を得た。
その証拠に彼女は常に俺の傍にいてくれるし、優しい音色を俺に聴かせてくれる。
言葉など必要ないと、その澄んだ音色が心に響いてくるたびに思う。
きっとお前の心にも俺の溢れそうな想いが響いているだろう。
夕暮れに染まる長い廊下を急ぐ。
彼女が待っていると思えば、自然と急いでしまう自分がいる。
図書室の扉を開け、いつも彼女が待っている指定席へと進む。
今日は残っている生徒も少なくて、ガランとした寒々しい図書室だ。
彼女が居た。
名前を呼ぼうとして、机に突っ伏す姿に溜息が出る。
こんなところでうたた寝できる性格に呆れるやら羨ましいやらだ。
少し気温も下がってきているのに風邪でも引いたらどうするのか。
待たせたのは自分だが、無防備に寝ている彼女の寝顔が腹立たしかった。
起こそうか。
考えて肩を揺らそうとした手が止まった。
長い睫毛だ。
女性の顔というものは繊細に作られているものだと思う。
頬に零れる髪も、夕日に染まる白い肌も、薄く開いた唇も、全てが柔らかそうだ。
彼女の顔を覗き込んで、ハッと我に返り周囲を見渡したが人影はなかった。
羞恥の咳払いをしてから、再び彼女に視線を落とす。
やはり寒そうだ。
自身に言い訳をしてから、自分の着ているブレザーを脱いで彼女の肩にかけてやることにした。
起こさないよう、そっとブレザーをかけようとすれば自然と近づく彼女との距離。
鼓動が僅かに早くなるのを感じながら、安らかな彼女の寝顔を見つめる。
愛しい。傍にいるだけで想いは募る。
君が好きだと、みっともなく叫びたくなる衝動をどうすればいいんだろう。
触れたいんだ。
自然と手が伸びていた。
陽に透けて栗色に輝く長い髪に指先が触れる。
僅かに触れ、そして躊躇いがちに手のひらで撫でた。
あまりに優しい感触に瞳が細くなる。
この柔らかさに唇を寄せたら・・・どうなるだろう。
思った時には瞳を閉じていた。
口づけた髪は彼女の香りとシャンプーの香りが混じって仄かに甘い。
その甘さと柔らかさに酔いそうになった、その時だ。
「ん・・・」と小さな声をたて、彼女が身じろぎした。
慌てて体を離し、彼女の姿を見守る。
長い睫毛が震えて、俺の心を捉えて離さない琥珀色の瞳が少しずつ開いていく。
自分のしたことに焦っている俺になど気づくこともなく、彼女は半分寝ぼけ眼で俺をぼんやりと見上げた。
「月森クン・・・」
寝起きだからこそなのだろうか。
無邪気に微笑まれて言葉が出ない。
「あ・・寝ちっゃてた。」
「すまない、待たせた。」
「ううん。あ、上着・・・かけてくれたんだ?」
「こんなところでよく眠れるものだと呆れていたが、風邪を引いてもいけないと思って。」
体を起こし俺のブレザーを手にする彼女を見ていると、さっきの感触が思い出されて恥ずかしくなった。
帰るぞと視線を外し、体を出口に向けて彼女の支度を待つフリをする。
バタバタと机の上を片付ける音がした後、彼女が俺の隣に並んできた。
「月森クンの匂いがする。」
その言葉に隣の彼女を見下ろせば、胸に抱いた俺の白いブレザーに鼻先を埋めるようにして嬉しそうに微笑んでいた。
「な、なにを」
「このブレザーのせいかな?さっきまで月森クンの夢を見てたのよ。」
「夢?」
「温かくて、優しい夢だった気がする。」
大事そうに彼女の胸に抱きしめられる俺のブレザーに嫉妬しそうだ。
もう隠せるものではないか。
「それは夢じゃない。」
「え?」
「俺が・・・触れていた。」
瞳を大きくした彼女の腕を引き、飛び込んできた愛しい体を抱きしめた。
息を詰めた一瞬だったが、胸の中におさまった彼女は逃げ出すこともなく額を俺の肩につけてきた。
お互いが言葉もなく、ただ感じる温もりに身を任せる。
耳の奥で『愛のあいさつ』が奏でられるのを確かに聴いた。
「愛しい」
2007.02.11
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