君の傍に
という女は他人の事に敏いが、自分の事に関しては呆れるぐらい鈍感な女だと思う。
「どうした?少し・・・元気がないな。」
「え?そ、そんなことないよ。元気満々!」
白々しい空元気を無言で見つめれば、が眉をハの字にしてお愛想笑いをする。
嘘をつくのが下手なこと。
いったい、いつになったら自覚するのだろうか。
「気になるから話してくれ。」
誤魔化されはしないと止めを刺せば、ヴィオリンケースを抱きしめたが小さく溜息をついた。
「さっきの子、月森クンが好きなんだろうなぁって。」
「さっきの?そんなことは一言も告げられていない。」
「見てれば分かるよ。あんな真っ赤になって、すごく可愛かった。」
「俺は顔も覚えていないが・・・それがの元気のない理由なのか?」
問えば、頬を赤くしたが上目づかいで俺を見てきた。
その顔の方が余程可愛いと思うのだが、口にはしない。
「月森クン、人気があるから」
「なに?」
「なんかヘコム。」
ポツリと呟くの頭を軽く撫でる。
目を丸くした彼女が、次には俯いてくすぐったそうに肩をすくめた。
まったく。君は知らないことが多すぎる。
人気があるとは・・・こちらのセリフだ。
「ちゃん!」
「火原先輩!柚木先輩も、どうしたんですか?」
「別に用があったわけじゃないんだけどね。
さんの姿が見えた途端、火原が子犬のように走りだしちゃってね。」
「柚木!」
「照れなくてもいいじゃないか、火原。」
この人たちに俺の存在は見えているのだろうか。
冷たい視線を送ってみたけど火原先輩はしか見えていないようだし、柚木先輩には軽く笑顔でかわされてしまう。
随分たってから「月森君は元気?」と訊かれても、もう愛想笑いする気力もなく不機嫌になってしまっていた。
俺の存在など気にしない人間は他にもいる。
「すみません、お話中。先輩にお願いがあるんですけど。」
「志水君、どうしたの?」
「今度・・・時間がある時に僕と合わせてくれませんか?」
「ええ、私?合わせるなら月森クンの方が上手だし・・・」
「いえ。僕は先輩がいいんです。」
それはどういう意味だ?
喉まで出かかっていた言葉に眉間のしわが深くなる。
困惑するに尚も志水は懇願する。
あまりに腹立たしいので、難易度を理由に俺がに代わって合わせてやることにした。
はしきりに済まながっていたが俺としては精一杯の牽制だ。
今日は今日で、土浦とが話しているところに行き合わせてしまった。
「!悪りぃ、英和辞典貸してくれないか?」
「また?いいけど・・・中に落書きするのは止めてね。」
「なんだ。お礼だろ?」
「お礼なら、もっといいお礼がいいんだけど。」
「いいぜ。何が希望なんだ?」
「二度と忘れ物をしないことだ。」
我慢できず横から割り込んだ。
俺の姿に土浦が唇の端を釣り上げる。
「月森クン!」とが愛らしい笑顔を浮かべて俺の名前を呼んだ。
「へぇ。じゃあ、月森にでも貸してもらおうか。」
土浦はに視線を流してから、俺の方を向いて笑った。
だが目が笑ってないことなど見てすぐ分かる。
分かっていないのはだけだ。
「それ、いいかも。もっと二人が仲良くなれるし。」
の言葉に土浦と顔を見合せ無言になった。
先に噴き出したのは土浦。
肩を揺らして笑いを堪えながら、チラリと俺を見る。
「月森も苦労するな。」
「分かっているなら、ちょっかいを出すな。」
「ま、頑張れよ。」
「ちょっと土浦君、辞書は?」
「ああ。サッカー部の奴にでも借りるわ。」
軽く手を上げて土浦が廊下を戻っていく。
借りる当てがあるならに声をかけるなと内心でムカムカしつつ、早々に退散してくれたことにホッとした。
「月森クンは、どうしたの?」
「ん?いや・・・こちらに来る用事があったから。
偶然にでもに会えればいいなとは思っていた。」
俺の言葉での頬に朱が走る。
その表情が愛しくて自然と微笑めば、が俺の腕を引いて窓側に寄せた。
「どうした?」
「もったいないから。」
「もったいない?何が?」
「月森クンの笑顔、他の人に見せたくないっていうか・・・」
頬を染めたがボソボソと語尾を濁した。
は俺の心配をしているようだが反対だ。
俺の方が余程君の心配をしている。
誰にでも優しくて、朗らかに微笑みかけてしまう君。
俺だけが知っている表情があるにしても、いつ誰に奪われるかもしれないと思えば気が気じゃない。
俺に余裕などあるはずもないんだ。
「それは俺の台詞だよ。」
小さく耳元に囁けば、の澄んだ瞳が不思議そうに俺を映していた。
その瞳にずっと俺だけを映していたい。
願いを叶えるため。
今日も俺は君の傍にいる。
君の傍に
2007/08/19
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